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(回答先: Re:自然を破壊したものはなにか?(ワヤクチャさんへのレスです) 投稿者 heart 日時 2005 年 12 月 04 日 00:52:19)
今回の一連の投稿に関連して、昨日読み返してみた今年2〜3月のNHK人間講座のテキスト「『共生経済』が始まる〜競争原理を超えて〜」(講師:内橋克人)を参考にしつつ、思ったこと等をちょっと箇条書き風に書いてみます。
・どうすれば格差がなくなるかという視点を持って考えたい。
・あるモノが商品価値を持つかどうか、という発想もやめるべき。
*社会的共通資本(自然環境、都市のインフラ、金融、教育、医療など「社会の枠組みをつくるもの」)を市場の対象とし、市場に組み入れ、商品化する思想が大手を振っている
・地域を単位とした「持続可能な社会」を作る
国際レベルで、循環型社会経済システムが構築できないのならば、地域から少しずつ変革して、ボトムアップをはかるしかない。
この変革の際には、「環境に配慮した消費者」、かつ、内橋克人氏の言う「自覚的消費者」
(「どの国の消費者にとっても商品・サービスの値段は安ければ安いに越したことはない。しかし、いったいそれはなぜ安いのか、そう厳しく問う消費者のこと」)
、また、そうした消費者の声を受けて行動する、環境に配慮し、かつ「自覚的」な生産者が必要。
・高い倫理観が必要。また、高い倫理観を持つ人が報われる社会である必要。
一連の建築偽装問題に関連して、内橋氏は6日朝のラジオの「ビジネス展望」で、姉歯建築士を暗に指して倫理観(職業倫理)の欠如を責めておられました。これはこれでもっともですが、倫理観を持って強度偽装を断れば、仕事を失うかもしれない、という恐怖が姉歯を追い詰めたというのも事実でしょう。つまり、姉歯は職業倫理、職業人としての誇りよりも、路頭に迷わず仕事をもらえることの方を優先させたのです。
ホリエモンのような錬金術で儲ける詐欺師的存在がマス「ゴミ」でももてはやされることに象徴されるように(「想定内」、「想定外」が流行語大賞を受賞するとか)、今の日本社会では、コツコツと地道に地に足のついた仕事をする職人が疎かにされています。経済的価値を倫理観よりも優先する風潮が充満しているのです。
こんな社会において、企業人が利益追求に走るのはむしろ当然の帰結です。そして、そういう風潮をますます強めようとする政府と、その政府にゴマをすり続けるマスゴミに国民が小選挙区制の下であってもNOという意志をはっきり表すようにならなければ、中央からの日本の変革(「改革」という言葉を使いたくないのでこう言います)は期待できません。
となると、やはり、草の根から変えていくしかない、ということになります。
この草の根運動の担い手ですが、自発的行動は何も消費者にしか期待できないものではないようです。
テキストに、高い理念を掲げる企業家同友会のことが載っていました。
同友会のHPの「理念」のページ(http://www.doyu.jp/intro/idea.html)から私が注目した部分を貼り付けると:
「中小企業はすぐれた製品やサービスを提供し、人々の暮らしの向上と地域経済の繁栄を保障するという社会的使命を負っています。地域と深いかかわりを持つ中小企業の発展は、雇用の創造の面でも、個性ある地域づくりの点でも大きな役割を果たしており、それだけに社会的責任も大きいものがあります。この社会的使命感と責任感こそ大切にしたいと考えます。」
「地域は今さまざまな問題をかかえています。私たちはそれぞれの地域において地域経済のバランスのとれた活性化に中小企業家の立場から提言し、かつ自治体や地域の人々と共に地域おこし、まちづくりに行動することが必要と考えています。」
内橋氏は、こういった理念を掲げる企業家同友会を、「『理念型経済』『人格経済』の現実化を目指して活動する人々の集まり」と評しています。
『人格経済』について、内橋氏は、「企業が利潤追求に精を出しさえすれば、おのずから予定調和的に活力ある経済社会が実現する、(中略)などという(中略)新古典派経済学者らの楽観的で無機質な市場至上主義の経済論議に、真正面から対抗し、経済にも人間と同じように『人格』がなければならない」、という「未来志向の思潮」と説明しています。
また、「ESOP―株価資本主義の克服」(本山美彦2003)によると、プルードンという、本山氏曰く「株価資本主義に対する批判を理論展開の基軸に据えようとするとき」「どうしても」「避けて通れない人物」が、以下のように述べているそうです。
「私的所有の弊害を見て共同所有を求めることも、私的所有の弊害を無視することも、ともに有害である。(中略)完全で永続的なバランスはあり得ないが、絶えずバランスを求める努力をするところに社会の進展はある」(『経済的諸矛盾の体系――貧困の哲学』)
これを読んで、新古典派経済学を絵に描いたような世界があり得ないのと同様、非経済的価値のみを至上価値とする世界もあり得ないのだろうなと思いました。また、解は一つでもないのだと思います。協同組合、ESOP、地域通貨、フェアトレード、近代文明の遺棄、はたまた場所によっては自由貿易。いろんな道があるのだと思います。今の世界は、自由貿易だけがよい、利潤追求が至上命題、といった主張が席捲していて、その他の道を選びにくくなっています。こういう偏った世界を、非経済的価値を重視する市民社会の声に応えるものへと舵を切らせることが必要です。目指すべき社会は、様々な価値が認められ、格差ができるだけ小さく、「自然の中で生かされている私、人間」と真に思えるような社会だと思います。
言うは易し、行うは難し、ですが。
勉強して、実際に行動する人間になりたいです。
皆さん、これからもよろしく。
《参考》上記テキストから、内橋克人氏が断罪しているものをキーワード・キーフレーズで拾ってみました。
・巨大資本の行動自由化
・公共の市場化・企業化
・『格差ある社会は活力ある社会』とさえ唱えるネオ・リベラリズム(市場至上の新自由主義)
・インデペンデント・コントラクター(独立契約者)――働かせ方の自由化
・社会的共通資本を市場の対象とし、市場に組み入れ、商品化する思想
・市場至上主義者らの言う競争力や価格の高低だけを尺度とする『合理的選択』
・作れるのに作らせないで買わせる
・覇権追求型の世界経済のあり方(アメリカの圧力)
・大量生産・大量消費・短サイクル・大量廃棄(←→最も望ましいものを適正規模で生産)
・今日世界をめぐるマネーの年間通貨取引高は300兆ドル
(cf.全世界の国々が貿易決済に必要とするドルは8兆ドル
地球上に存在する国々のGDPの合計は30兆ドル)
・IMFの融資のあり方(融資と引き換えに、市場化、国有企業の民営化などを迫る。
市場化、民営化を妨げるあらゆる障壁の除去を迫り、救済の対象国をマネーの自己増殖に好適な環境《市場化》へと置き換えていく。)
・分断、対立、その間に市場を置いて新たな利潤追求のチャンスとする新自由主義改革
<例>都市の消費者と農村を対立させて日本のコメは高いではないか、と御用学者に吹聴させて分断し、対立を煽る
・マネーの自己増殖(利子の超複利的運動によってもたらされる)←人間労働の成果と自然を含む価値高い資源を、貧しい国から富める国へと移す道具になっている