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(回答先: Re:自然を破壊したものはなにか?(ワヤクチャさんへのレスです) 投稿者 heart 日時 2005 年 12 月 04 日 00:52:19)
heartさん、はじめまして、こんにちは。
ワヤクチャさんには割り込みをお詫びいたします。
本来はワヤクチャさん宛にダイレクトにレスするべきかも知れませんが、heartさんの関心事とも少なからず重なる部分があるのではと想い込み、横レスしたような次第です。
私は、その昔多少なりとも拘った“共同体”論を今は暫し脇に置いて、今日的あるいは将来的な“協同”もしくは“協働”の有り様を探求している人間です。そして、考察をしていく上でエルンスト・マッハを源流とする「生態史観」のようなエコロジカルな視座は断じて蔑ろにできない繋辞(媒介項)ですし、それが人間中心主義的な傾向の緩和に寄与するものと考えています。“太陽光発電”等の様々なエコロジカルな取り組みや内橋克人氏が提唱している“地産地消”はその緩和策として非常に有効であり、それが結局は自身を含めて持たざる者達を救済することにも繋がると想っています。
けれども、自己中心性を免れ得ぬことを含めて問題解決の当事者が我々人間に外ならぬ故に、基本的には人間中心主義の立場をとらざるを得ないのが実情でありましょう。そうした認識の基底には生物としての人間が持つ[conatus](自己保存力−スピノザ)の受けとめ方に関し、その鬩ぎ合いにおいて優位性を獲得・保持しようとする性向が我々の中にあることを認めざるを得ないという現実があります。それを受け入れていないと外界(自然)との関わりについて真剣に考える人ほど、絶えず自己欺瞞に陥り自己嫌悪に苛まれることになるでしょう。
ところで、株式資本主義は産業革命と相前後して勃興してきた金融資本家を中核とする事業家(経済主体)が自らの錬金術に根拠を持たせるために考案され確立してきたものと捉えることができると考えています。heartさんご紹介の『ESOP−株価資本主義の克服』(本山美彦2003)で注目すべき点は、ESOP(イーソップ)の発案者であるルイス・ケルソに関する『人は怯えながら暮らすべきではない.人は仕事に生きる喜びを見出さねばならない.ESOPとは,そのような思いで米国に導入されたものである.労働者は,企業の利益のおこぼれをもらう「苅分小作」(シェア・クロッパー)ではない.小作ではなく,企業の「所有権」(オーナーシップ)を分有すべきであると主張して,ケルソはESOPを作った.』(はしがきB)という箇所でしょう。
著者は株価の動向に直接的・間接的に翻弄される企業や人々(経営者や従業員)の事例を提示し、とりわけ従業員がそうした状態から解放されるための要諦としてESOPにその可能性を見ていると感じます。しかし、コーポレイト・ガバナンスの観点から捉え直すならば、ESOPは生産手段の分有を認めること、すなわち労働者を[associates](経営の仲間)と見做すことにもなりますので、生産関係の革命的な変革を意味することにもなります。
>このESOP(従業員株式保有計画)という制度は、株価の上昇を追求するものであるという意味で、利潤追求型経済から出るものではないかもしれませんが、利潤の中身が、少数の「勝者」、また、錬金術師に帰属するものではなく、当該企業の従業員という、国民の大多数に還元される、という点において、大いに魅力のある制度ではないかと思います。
私はOBM[Open-Book Management](財務データ開示による経営)について調べているときに、【Case,John.[1995]“ Open‐Book Management”. New York:HarperBusiness.邦訳,佐藤修訳『オープンブック・マネジメント』ダイヤモンド社,2001年.】の中でESOPを知りました。そして、ESOPが経営に関して労働者が問題解決の当事者意識に目覚め、当事者能力の獲得を現実のものとすると云った側面を特に重視しています。それが生存条件(環境問題)や人間自身の生存要件を捉え直す場合に当事者としての主体性を付与することになると考えるからです。さらに、企業活動の駆動力であり経営の執行者でもある[associates]が諸々の意思決定に参加するときには、OBM[Open-Book Management]は不可欠なものになるだろうと考えています。
しかしながら、こうしたシステムが今後の社会を再構成する上でのAlternativesとして、どの程度の汎用性(普遍性)を有するのか、その導入方法を含めて、日本ではまだまだ研究の段階にあると感じています。従業員持株制度に関する法整備の問題をはじめクリアしていかなければならない課題が山積しています。それでも、株式資本主義は錬金術の下支えと云った側面を持つと同時に、株保有の形態は生産手段の分有の可能性をも示唆していると見て、個人的には地道にその方策を探究していきたいと思っています。
今回はどこまで詳述すべきか推断ができず、概略的なことのみで申し訳ありません。この先heartさんとの会話が進むようでしたら、そのときにまた興味の趣くままに試行錯誤を始めたいと考えていますので、今後ともよろしくお願いいたします。
また、会いましょう。