★阿修羅♪ > 雑談専用16 > 237.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: ワヤクチャさんの基本信念に大いに共感を覚えました 投稿者 heart 日時 2005 年 11 月 30 日 02:16:24)
heartさん、ありがとうございます。
自然を破壊したものは利潤追求型経済だと私は思っております。
従って、利潤を追求しない経済システムを作る必要があります。
では、利潤を追求するのは何故なのでしょうか?
それは支配欲です。
金を多く得る事は他者に対する支配を強める事になります。
労働者の生殺与奪の権を金持ちは持つのです。
そこで、取りあえずは「金持ち権力」の力の弱体化を目指しております。
それは累進的な課税です。
この事によって金によって人を支配する事を困難にするのが目的です。
今の経済は物を作ってそれを無理やり買わせる経済です。
環境にいいワケありません。
そこで必要最低限の物を消費する経済に転換しなくてはなりません。
それが「環境に配慮した」消費者が主導する経済です。
これまで経済は生産者主導だったのです。
これを消費者主導にする事が革命です。
>ワヤクチャさんの基本信念に大いに共感を覚えました
感謝感激。
>http://www.asyura2.com/0510/idletalk16/msg/223.html
>投稿者 heart 日時 2005 年 11 月 30 日 02:16:24: QS3iy8SiOaheU
>(回答先: 自然の為には消費(生産)の抑制が必要 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 >11 月 29 日 23:10:39)
物の移動は最低限に抑える必要があります。
従ってなるべく近くで生産したものを消費する経済に転換しなければなりません。
大工場で作りできたものを遠くに運ぶのではなく小規模な工場を各地に作りそこから物を供給するべきです。
コンビニにパン工場を併設するなどのイメージが典型かと思います。
大規模店舗に遠くから買い物に行くのではなく駐車場付きの小規模店舗を沢山作っていくイメージです。
車は水素内燃機関や燃料電池車に切り替えていくべきでしょう。
全ての屋根に太陽光発電を設置し至るところで充電できるようにすべきです。
>横レス失礼いたします。
>ワヤクチャさんの基本信念:
>「自然を愛する気持ち
>これを全ての考察の土台にしたいと考えております。
>自然の中で人間が生かされている
>という事を片時も忘れずに考察できればと思います。」
>大いに共感を覚えました。
>また、私も、原点を片時も忘れずに物事を考えないといけないと、再認識しました。
原点って大事だと思いますね。
原点を意識しているかどうかで思考は大きく変わると思います。
>私の原点は、何の罪もない動物たちが人間のせいで生存を脅かされていることへの憤>りです。
そうですね。
動物達が生きられる環境を人間は奪ってきました。
人間は尊大な生き物です。
自分が一番偉いと思っている。
そんな事ないんですね。
環境をこれほど破壊する生き物が偉いハズがない。
むしろアホだ。
全てを破壊してやまないできのぼうのような生き物です。
人間は地球の最大の害虫です。
>そのため、当初は環境原理主義的な考え方をして、
>人間が原始時代の生活に戻ればいいんだ、などと考えたこともありました。
ある意味正解です。
人間の贅沢が自然を破壊してきたのですから。
人間は自然の中におけるガン細胞のようなものです。
ガンをおとなしくさせる方法を考えなくてはなりません。
>しかし、それは人間の欲望に際限がないことを思えばどう考えても無理そうなので、
>人間の欲望の発露先かつ抽出先である経済をどうにかする必要がある、と考えるに至>りました。
人間の欲望は作られているのです。
誘導されているのです。
商品を売る為に。
生産主導型経済が人間を洗脳しているのです。
毎日毎日テレビで。
つまり、消費者主導型経済に転換する事によって欲望は沈静化します。
洗脳が無くなるワケですから。
商品を売らんが為の文化は衰退し、人間の本来の生物的欲求を満たす最低限の経済へと転換します。
>問題は、どんな経済(というより社会といった方が適切かな)ならよいかです。
今の経済で何がよけいかを考えていけばいいのです。
株為替取引で資本を増殖させるという錬金術は一番によけいなものです。
>環境と経済の両立、循環型社会、、、言葉としては、理想的そうなものが
>すぐ思いつきます(今環境と経済の「両立」の意味から考え直す必要を感じましたが>これは私の今後の課題としたいと思います)。
自然の中に経済を埋め込み直すべきです。
自然と経済を分離して発想するからおかしくなるのです。
自然の中で生かされている経済という把握が必要です。
空気・水・光・養分によって経済は生かされているのです。
経済そのものが一種の生き物と考える必要があります。
生き物を内部に含むものは生き物なのです。
>しかし、実際に、具体的にどんな社会がよいかというと、
>今の社会・経済の仕組みさえ十分に理解できていない私にはまだまだわからない、と>いうのが私の実情です。
いや、そんなことはないでしょう。
自分が思う所の社会・経済のしくみを書いていくのです。
多くの事を既に貴方は認識しているでしょう。
難しい本を読む必要はありません。
人とネットで対話をする事です。
耳学問ならぬネット学問によってリアルな世界像を頭の中に構築する事ができるでしょう。
今の社会の問題をあげていく事です。
そうすればどんな社会がいいのか答えは出ます。
物を作り過ぎる経済が諸悪の根源です。
兵器を作り過ぎたら在庫を一層する為に戦争を起さねばなりません。
本末が転倒しているのです。
内橋克人さんが提言されている、
「競争セクター」(分断・対立・競争を原理とするセクター)一辺倒の社会から、
連帯・参加・協同を原理とした「共生セクター」の比重のより大きい(競争セクターよりも比重の大きい)社会への転換、というのが、大枠としては答えだろうなとは思っています。
>また、内橋さんも言われていますが、自給、ということも大いに重要と考えていま>す。
なるべく近くの生産物を消費する事が自給です。
だから畑の近くに住宅を作り畑で取れたものをもっぱら食べるような生活が理想です。
>それも、国よりも小さな単位での自給です。
そですね。
なるべく小さい方がいい。
>つまり、地域自給。すべてのものをある境界内で自給することは不可能でしょうが、
>ある程度は自給すべきと考えます。
生活必需品を作る生産拠点を各地に作っていけば自給する事になります。
>自給することで、資源の循環が行われるようになるでしょうし、長期的視点で資源の>採取が行われるようになることから資源の収奪的利用を防ぐこともできると思いま>す。
>この観点からは、当然ながら、グローバリゼーションという、世界の市場化などとい>うのは、当然ながら取って替わられるべきものということになります。
グローバリゼーションというのは生産物を世界中でもっと移動させるという事です。
環境負荷を強めるのです。
>誤解を避けるために一応言っておくと
>(ワヤクチャさんならおわかりになると思いますが)、
>私はなにも、内向きの社会を提唱しているわけではありません。外に対して開かれた>社会というのと、一握りの強者が外部からズカズカと入り込んできて社会も生活も人>間性もズタズタにするに身をまかせざるを得ない社会というのは、違うと思っている>だけです。
はい。
情報は世界大で流通させたらいいのです。
物の移動は最低限にするべきです。
>(今の日本の場合、売国奴暴君が内部からズタズタにしようとしてるわけです>が・・・
>それと、外部への穴をたくさん開けて、外部からの攻撃にさらされやすくしています>ね)
支配ですね。
小泉はアメリカの日本支配を強化しました。
>グローバリゼーション、市場原理至上主義、新自由主義、マネー資本主義、
>貿易自由化、民営化、市場化テスト、新古典派経済学、・・・
<こういったもの(同義語もあると思いますが)とはまるっきり異なった社会のあり>方、
>今後も考えていきたいと思います。
それは市場に埋没して活動をするのではなく
市場を環境配慮型に変革するという事です。
今のままの市場を受け入れるのでは無く
市場を加工するという事です。
>ワヤクチャさんもおっしゃってる(はずの;今ちょっとその記述が見つけられません>が)協同組合というものについても、考えていきたいと思っています。
そうですか。
それは心強いです。
協同組合についてはココでは多くを語っておりません。
株式会社に代わる組織として協同組合を展望しております。
金持ちが経済を運営するのでは無く
そんなにお金を持っていない者でも経済運営に携わるのが協同組合の革命的性格です。
小額出資でも運営に意見が言えるのです。
大株主の意向で多くが決まってしまう株式会社とは大違いです。
>なんか、動物保護的な私の原点からそれてる気もしますが、
>動物保護を叫ぶ運動をするよりは、人間社会(人間も動物の一種であり、同じ人間で>も被害者と呼ぶべき人たちもいますが)の構造を変える方が本質的な解決になると思>うので、
>一応原点からは外れていないかと。
>ぼうっとしてると原点を見失いそうですが(^_^;)
動物を苦しめているのも利潤を追求する人間の活動です。
問題が何故生じているのかの原因を追求する思考が必要です。
問題だけを見ていても進展はありません。