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(回答先: 過去を生きてるひとも未来を生きているひともいない:ひとは「今」を生きているだけ 投稿者 あっしら 日時 2005 年 11 月 29 日 10:02:05)
あっしらさんへ。
>過去を生きてきたひとや未来も生き続けるであろうひとはいますが、過去を生きてるひ
>とも未来を生きているひともいません。
>ひとは「今」を生きているだけです。
もちろん、タイムマシーンや特殊能力があるわけでもなく、「今」を生きていない人はいないでしょう。“「今」を生きてはいない” というのは、観念的なもので、「今」に拘らずに(観ずに)、「未来」に拘ったり(観たり)、「過去」に拘って(観て)生きているということです。あっしらさんの文章も、少なからずそれを意図した内容と受け止め、書かせて頂いたものです。(でなければあっしらさんの文章は少し書き換えが必要かとも思います・・)
>「過去」の経験や知識をもとにものごとを考えたり判断するのも「今」=生身の自分であり、過去の自分ではありません。
もちろん考えて判断するのは、「今」の自分であり、「過去」の自分ではありません。しかし拘っている内容は、「過去」に対するものではないでしょうか。
「今」が良い悪いと考えるのは、「過去」の自分や記憶と比較して、良い悪いと捉えたものであり、それは「今」に拘っているのではなく、すぎ去った「過去」に拘り、「過去」に生きているとは言えませんか?
>「未来」に対するものとして何かを良くしようとする欲求やそのためにどのような政治判断を良とするかも、「今」=生身の自分が行うものです。
もちろん考えて行動するのは、「今」の自分であり、「未来」の自分ではありません。しかし拘っている内容は、「未来」に対するものではないでしょうか。
良くしようとする欲求は、少なくとも「今」は良くないというのが出発点のはずです。それは、「今」が良いのではなく、「未来」に良い(であろう)であって、不確定である「未来」に期待して(拘って)、「未来」に生きているとは言えませんか?
>過去も未来も「今」にとってのものであり、連続性の「今」を生き続けているのが人です。
もちろん過去も未来も「今」にとってのものであり、「今」人は生きているのに、「今」を生きようとしている人は、稀だと思います。
また、「連続性の「今」を生き続けている」というのは、「過去」の記憶と「未来」への期待が、「生き続けている」と思わせているだけで、完全に「今」だけに拘っている人は、「生き続けている」とも思わないでしょう。
>なお、政治運動には投票行動も含まれますから、「今」を良くしたいと思う「今」に生き
>ている人も、少なからず政治運動をしていると思いますよ。
>(政治組織に加盟したり、政治的主張を公にしたり、ビラ配りやデモをすることだけが
>政治運動というわけではありません。投票行動さえしなくとも、政治を考えるだけで政
>治活動です)
「今」を良くしたいと思う「今」に生きている人ならば、「今」に拘り、それこそ瞬時に“「今」は良い”と考え生きることでしょう。もし彼らが政治運動をするというのなら、良くしたいから政治運動をするのではなく、無期待に、無目的に、無価値観に、ただ政治運動をするだけでしょう。それが起こり得るかどうかは疑問です。