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(回答先: 何事も熱くなりすぎると危険ですね。 投稿者 piyopiyo 日時 2006 年 2 月 28 日 00:56:29)
>マネー資本主義などは実は敵ではないと思っています。
>己の中にもあり、また時に有用だとも思っています。
とのことですが、どう有用だとお感じですか?是非教えてください。
>何事も過ぎたるは及ばざるがごとしとは孔子の言葉ですが、
>まさに中庸こそが最上だと感じています。
中庸という言葉、
念のためgoo辞書で確認したところ、
「考え方・行動などが一つの立場に偏らず中正であること。過不足がなく、極端に走らないこと。また、そのさま。」
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%C3%E6%CD%C7&kind=jn&mode=0&base=1&row=1
とありました。
確かに、中庸でいられたらいいと思います。
しかし、それは実質不可能ではないかと思います。
なぜなら自分では中庸のつもりでも、考えにはいろいろな価値観が無意識にでも付いてくるので、ある価値観から見れば正当だから中庸だと思えても、他の観点からみれば正当でなく、中庸でもなんでもない、と思われるということもあるだろうからです。
私の考えは中庸でないとお思いのようですが、それは私の価値観が同時代の主流な価値観から見れば反体制的であり異質だからではないかと思います。逆に時代の流れが私のように例えば自由貿易より公正貿易、自給自足だ、となれば、私の考えが中庸ということになるかもしれません。それに、名前からして、自由貿易より公正貿易(フェアトレード)の方が中庸な気もします。
話が脱線しましたが、piyopiyoさんがおっしゃりたいのはたぶん、バランスが必要だということでしょうね。
中庸は軸が人によって異なるので追求しても得られそうにないですが、バランスなら、多様な意見を組み合わせて考えることで到達できる気がします。
同じことかもしれませんが。
>平家物語のようなドラマはいりません。
>盛者必衰なれば盛者を作らなければいいだけです。
>しかも盛者はその時世の人々が具現化した存在にすぎません。
>なればこそ作らないなんて不可能に近いのですがね。
ドラマを仕立てる方が運動としてはやりやすいと思います。
そうかといって小泉劇場のようなイカサマはダメですけどね。
あくまでも、わかりやすくするため、賛同者を増やすための手段です。
>歴史上、行き過ぎを戻すのは戦乱以外にありません。
現在の日本の政治が行き過ぎであるということはお認めなのですね。
>ただ、マハトマのような変わり者もいたのです。
非暴力・不服従ですか。
彼は変わり者ですか・・・
しかし、イギリスでは名誉革命もありますよ。
>時に、尊皇攘夷と二元論に単純化したがる風潮は、
>敵味方と選択肢を狭めることで、思考回路を停止させます。
思考回路を停止させないように注意します。
しかし、思考回路自体、価値観の異なる人同士では違うと感じています。
>退路を断つようなことは危険です。
退路というよりは、調整できる柔軟性を残しておくことが必要でしょうね。
いきなり理想の社会が構築できるわけではないでしょうし、理論どおりにこの複雑な社会が動くことはまずないでしょう。
しかし大きな変化を起こす時はやはり二元論に近い形になってしまっても仕方がない気がします。二元論についてはあまり考えたことがないのでよくわかりませんが。
>ただ、二元論はうまくいったときはナチス統治初期のドイツと同じように
>至上の幸福を市民に与えてしまうインパクトの強さがあるし、
>ボリシェビキ革命のような陶酔感も与えてくれる。
>うまくいった時は逃れることは不可能に近い危険な思想です。
>そんなにドラマティックなことなどないと、いろは唄は古来から訴えているのですがね。
挙げられた例は確かに危険ですが、危険でない例もあるのではないかと思います。
なければ新たに作るまでです。