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(回答先: 日本には智者は少ないのだろうなぁ〜 と、考えたりする。 投稿者 考察者K 日時 2005 年 11 月 13 日 19:38:25)
夏目漱石の、極端な英語文法厳格主義が、日本人の英語恐怖症というか、英語がコミュニケーションの手段に過ぎないことも忘却に繋がっている、と思う。
発音についても、同じである。
タイ英語も、香港英語も、オーストラリア英語も、上海英語も、ドバイ英語も、立派な英語である。
鹿児島弁も、津軽の方言も、大阪弁も、立派な日本語である。
他人の用語や、他国の流儀を、有難がって、盲目的に受容する体質こそ、用語の厳格・形式的厳格主義に陥り易い。
「木を見て森を見ず」である。
結局は、自分に、本物が無く、それを、意識的・無意識的に認識しているために、変に、理屈っぽくなり、厳格な形式主義に『陥る』のである。
夏目漱石も、英語文化圏の脱落者であり、その脱落者を、英語教育の普及に用い、賞賛した、これもまた、「愚民」の為せる業である。
単語のスペルが間違っていて、それほど、問題だろうか。
差別的な言葉を支持する内容を文法的に正確に書くよりも、良識のある言論を、たどたどしい言葉で書く方が、よほど、心に響き、伝わるものであり、純粋理性にも、道徳的美にも、適うのである。
これが、言葉であり、コミュニケーションである。科学的記述も、例外ではない。