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囲碁の格言に「定石は覚えて忘れろ」というのがある。
意味合い的には「定石は参考のために覚えるべきだが、定石に捕われてはいけない」というような意味のようである。「忘れるなら、覚えるだけ無駄」というのは間違いのようである。
「門前の小僧習わぬ経を読む」ということわざがある。意味は「繰り返す事で、特に意識しなくても覚えてしまう」というような「繰り返す事は、一過性の努力より重要」というような意味もあるようだが「覚えるだけなら、誰にでも可能だが、重要なのは意味を理解することであり、小僧に単に経文を唱えられてもありがたくもなんともない」というような意味もあるようである。
漫画「銀河戦国群雄伝ライ」の中で軍師の師真は「兵法書などを丸暗記する事などは意味のない事で、問題は内容を理解することだ」というような主旨の事を言っている。要は、本を一冊覚えるだけの知能がある事よりも、それを生かす事ができるかどうかの方が重要ということである。
一部の知識者は「用語に非常に拘る傾向がある。」
Kなどは根がアホなので「大雑把に意味さえ伝われば用語などどうでも良い」として適当に略してしまうのだが、その人たちに言わせれば「とんでもない行為」と思えるようである。そう言えば若者が使う「省略言葉」に必要以上の過剰反応を示す知識人もいるが、まあ、この辺は性格的な要素も多いと思われる。
潔癖症・完全主義者というような人もいるが、ズボラなKには理解不能の「拘りを持っている」としか思えない。
潔癖症・完全主義者であっても、それだけなら、全く問題はない。しかし、大抵は「人にまで、それを強制する」他人の価値観は多種多様であり、潔癖症・完全主義の方が「一般的ではない」のであるが、まあ、人間というのは「自分を基準にして物事を判断する傾向が強いので、他人も同じように考えてしまうのは、ある程度は仕方がない」それに、潔癖症の人からすれば他人がズボラなのは著しく不快なのだろうから、改善をしようとするのは当然でもある。
しかし、すべては程度問題でもある。無菌室で生まれ育った人間は「細菌に対して抵抗力など育たない」そう考えれば「潔癖症の人」が少数派である限りは「耐性を持ってもらわなければ、いずれは保たないだろう」他人の価値観は多種多様であり、社会というのは雑居世帯である事だけは知ってもらい。我慢も必要だと教えることも必要である。
しかし、これが「理論主義者の知者」の場合は「変に頭が良い」ので始末が悪い。どんな説明をしても簡単に言い返されてしまう。こちらの方が馬鹿なのだから「知者には、最初から愚者への先入観が現れやすい。それだけで、相手の意見は真面目に理解しようとしない傾向になる」しかも、知者にはプライドというものもあるから、愚者に論破されては困るという都合もある」
Kの知っているある事例では「にほん」と言うと烈火のごとく怒るという異常反応を示す知者(教師)もいるとの事である。本来は「にっぽん」が正しいらしい。Kに言わせれば「つまらない拘りであり、意味のない事」としか思えないが、知者はその優秀な頭で「理論構成をおこなっている」のだろうとも思う。「そんなどうでも良い事を考えるなら、もっと多くの人の利益になる形で優秀な頭脳を使えよ」という気もする。
多分だが、日本の上層階級は「そのような知者の比率が高い」のだろう。
日本が住み難い国になっていくのは、必然なのかもしれない。
本当の意味での智者は日本には少ないのだろうと思う。