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(回答先: 「改良主義者」だったんですね。 投稿者 あっしら 日時 2005 年 11 月 07 日 05:05:21)
あっしらさん、社会主義とは何でしょうね?
市場経済を廃止するものとして社会主義を展望するとして
その社会主義とはどのような経済システムを想定できるのでしょうか?
計画経済ですか?
では計画経済とは何でしょうか?
官僚主導型の計画経済がうまくいかない事はソ連や中国で証明されたのではありませんか?
そこで私は消費者主導型の「計画経済(=無駄な生産をなるべくしない経済)」を構想しているのですが、これは市場経済の上に成り立つものであると考えております。
従って私は市場経済を統制する形で「よりよき経済システム」を作ろうとしております。
そこで重要な役割を果たすのが生活協同組合であって、国家は生活協同組合を支援すべきものとしてあると考えます。
>「改良主義者」だったんですね。
>http://www.asyura2.com/0510/idletalk15/msg/557.html
>投稿者 あっしら 日時 2005 年 11 月 07 日 05:05:21: Mo7ApAlflbQ6s
>(回答先: 「市場経済」を廃絶してどのようなシステムにすればいいかが分かりませ>ん。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 11 月 06 日 20:25:05)
>ワヤクチャさん、どうもです。
>あなたは、社会主義者ではなく、協同組合主義者や改良主義者(国家による弱者救済>主義者)であり集産主義者だったんですね。
貴方は柄谷行人氏の「可能なるコミュニズム」をお読みになられましたでしょうか?
その中で彼はマルクスが「協同組合が生産を管理する事が可能な共産主義だ。」と述べたと書いております。
私はこの文章を読んだ時に「なるほど!」と手を打ったのです。
貴方にとって社会主義とは何でしょうか?
私は協同組合が国家の役割にとって変わる変革を主張しているのであり、国家を協同組合社会へ移行させる上での手段にしようと主張しているのです。
>(反市場主義・反集産主義を標榜しているものとしては、19世紀から20世紀にか>けての左翼運動の変節をたどっているようでちょっとがっかりしました)
市場経済を媒介としない経済システムを私は想像もできません。
貴方にそれができるのであれば是非お教えいただきたいです。
反集産主義については私も可能な限り小さなな地域での自立的「生産→消費」システムを構想しており、大量に生産して遠隔地に物を運ぶ現在の在り方を是正したいと考えております。その意味でグローバリズムや自由貿易に反対しております。
生活に必要なものを作る小さな生産拠点を均等に配置し、どの場所に住居があっても比較的近い所から必要な物が運べる「ハチの巣」状の経済システムを構想しております。
>>「神の見えざる手」は「見えない」のでは無く「存在しない」と考えております。
>>見える手によって市場を統制しようという意見です。
>「神の見えざる手」は、“全能ではない”というのならわかりますが、「存在しな>い」のなら市場経済を維持しようと考えるのはおかしいのではありませんか?
市場経済にはそのままでは調整機能が無いので、人為的に調整しないといけないと述べているのですが。
>存在しないから見える手によって市場を統制しようというのなら、市場経済を否定し>たほうがすっきるすると思いますよ。
ですから、市場経済を基盤としない経済システムを私は想像もできないのです。
>(たんに経済主体の私的所有=利益の私有を認めるだけのバカバカしい話になるので>は..)
市場経済を基盤とする以上、商品の私的所有は前提であり、自分が所有する商品を処分する事によっていかなる利得を得ようとそれは認められる事になります。しかし、過剰な利得を得た者に対しては徴税という形で富の所有の再分配を行おうと考えております。これは国家の役割です。
>>ですが、一般企業のような利潤追求はできません。
>>そのような経営は総代会において批判されるからです。
>>利潤が多過ぎると商品価格の値下げが要求されるでしょう。
>>職員の給料も一般企業よりは安い水準になります。
>>給料ももらいすぎていないか組合員によって監視されているからです。
>そんなくだらない組織が経済活動全体を差配するようになったほうがいいと真顔でお>考えなんですか?
要するに消費者が市場を支配する事が最善だという事です。
生協の労働者は消費者という側面において自己を開放するのであり、労働者としては消費者に監視され命令される存在でしかありません。
マルクス主義の労働者主導という考えは生産主導の労働者版であるに過ぎません。
生産主導ではよりよき経済を生み出しません。
>資本家(経営者)の代わりに組合員(多数派)に監視されて勤労に励むだけではない>のですか?
それでいいのです。
>>私はそういう事よりも消費と生産のミスマッチが起こらないようにする事が大事だと
>>思っております。売れない商品を作ってしまう愚を避けたいという事です。これは労
>>働をドブに捨てる行為です。全ての労働がちゃんと消費者の元に届くようなシステム
>>を作りたいのです。
>消費者の気分や嗜好は移ろい行くものですから、現在よりはデッドストックや廃棄を>減らすことはできるとしても、生産と消費のズレを解消することは無理でしょうね。
完全には中々無理でしょう。
しかし、無駄な生産をしてしまった場合はその事も又組合員に報告されるのです。
これは改善欲求を生み出します。
>ムダな活動も大いに意味があると思っています。
無駄な生産は無くすべきでしょう。
>遊びはムダの典型のようなものです。
遊びはいいのです。
遊びにもよりますが、遊びというのは人間の生きがいの為の栄養のようなものであります。
しかし、遊びもより環境負荷を掛けない遊びに転換するストイックさが必要です。
>生産結果のムダよりも、労働活動の在り方のほうがずっと問題だと思っています。
例えば、どのような事でしょうか?
>>最終的には世界経済の管理が必要ですので大きな組織はどうしても必要です。
>>問題はその世界組織の運営にどれだけ多くの消費者が関われるか?という事です。
>集産主義者やコスモポリタンには必要なことかもしれませんが、本来、世界経済の管>理なぞ必要ありません。
そうですか?
地球環境を考えた場合、必要ではありませんか?
今後、もし、全ての人が車を乗り回すようになったらどうなると思われますか?
人口抑制も必要でしょう。
>狭い自治体の運営に関われる度合いさえたかが知れているのに、世界組織の運営に多>くの消費者が関われるはずもありません。
自治体への関わりと平行して世界組織への関わりを追求する事は可能だと考えます。
思考は地球大であり得るのです。
>(関わっているという幻想は、民主主義と同じように持たせることはできます)
いや、幻想では無く、世界を結ぶインターネットによって可能です。
>別のところで書かれている、
>「私も住居には畑がついているようなものを作っていくべきだと思っております。
>畑の中に住宅を作ればいいのですが。
>食料は可能な限り自分で作り、住宅のそばに職場を作るような都市政策が必要でしょ>う。
>住宅と職場を全国に分散させるという事です。
>大都市一極集中は渋滞など環境負荷も大きく問題が多いと考えております。
>政治もなるべく小さな単位で自立的に行うようにするべきです。
>今は国という存在が大き過ぎます。
>なるべく小さな地域で全て賄うようにすべきです。」
>のほうが、ずっと好感をもてます。
小さな地域での自立と世界組織への参画の両方を同時にする事が可能です。
>>>自分(家族)の生存維持条件を所有し自分の判断で働くかたちが望ましいと思ってい
>>>ます。
>>その自分の判断が恣意的であれば売れない商品を作ってしまう事になるのでは?
>>自由な生産以前に「本当に必要なもの」を作る事ではないでしょうか?
>商品を生産するわけではなく、自分が必要なものや欲しいものをつくるのですから、>つくった後で不要になろうが欲しくなくなろうがかまわないことです。
>(要らなくなったら、欲しい人にタダであげればいいでしょう)
商品生産は必要です。
自分が作れないもので必要なものがあるからです。
>>>需要を知らせ生産の在り方を誘導することと生産を管理することとは次元が異なる
>>>と理解しています。
>>そうですか?
>>この意味はもう少しご説明いただけましたらと思います。
>生産の成果物(商品)について何をどれくらいの量でと誘導することは、生産様式の>在り方(固定資本や労働条件など)を管理することとは次元が違うということです。
消費者の必要をリアルタイムで把握する事ができれば無駄なものを一切作らずに供給する事が可能です。
>>失対事業の内容をもっと一人一人の能力を生かせるものにすべきです。
>>農作業などにもっと投入すべきでしょう。
>>その為には国営農場も必要でしょう。
>>働き手が不足している農家に失業者を紹介するような事もやっていくべきだと思い>>ます。
>無理強いはできませんが、失業者が農業に従事できる政策を推進することには賛成で>す。
どうも。
農業をする意志がある失業者の受け皿が必要です。
>国営農場がいいとは思いませんが、市場に出荷せず、援助物資として使うだけでもい>いからやって欲しい政策です。
有機農業を多くの人手を掛けて行えば市場では高値で取引されるでしょう。
>>>年金受給者・生活扶助受給者などを含めて消費税率アップ以上に所得が増加するのな
>>>ら、景気という観点についてなら問題は解消されます。
>>ところが所得の増加は市場任せなので政府は保障できないのです。
>>税金は政府の専権事項なのでここをどうするかしか考える事はできません。
>>税制こそが政治の中心なのです。
>所得の増加は市場任せではありません。
基本的に市場における企業の経営者の恣意的判断で所得は決定されます。
>利益を上げている企業が給与を引き上げたほうが得だと判断するような税制の施行も>可能です。
利益をさほど上げていない企業は給与を上げたくても上げられません。
だから、市場任せと申し上げたのです。
>>>「低価格化さらには無料化」ではなく、家計状況のためにそれらの便益を享受できな
>>>い人に補助金を支払うのではダメなのですか?
>>取りあえずはそれでもいいですが、それでは証明書類の提出が必要になりますので万
>>人が必要なサービスは無料化を目指すべきです。
>>医療は国が責任を持って行うべきです。
>>「医療の受益者負担」こそ「政治の貧困」の証明です。
>>ここに税金を使わずにどこに使うの?って感じ。
>>生命保険会社は大反対するでしょうが。
>>商売できなくなりますので。
>>日本医師会は賛成してくれるんじゃないかな?
>なぜ医療など限定的なものは国が責任を持って行うべきなのか疑念を覚えます。
国民の健康を守るのが国の最重要政策で無ければならないと思います。
小泉は靖国に参拝して国民が国の為に命を捧げる事を奨励しているのです。
国家が国民の命を吸おうとしているのです。
真逆の政治です。
>それなら、住宅も食事も娯楽などの享受も国が責任を持って行うべきなのではありま>せんか?
もちろん、食料の無料化も必要でしょう。
しかし、まずは医療からでしょうね。
もっと医療に金を掛けるべきです。
>そして、医療は国が責任を持って行うべきとまで言うのなら、市場経済ではなく、非>市場経済(国家管理経済)を志向したほうがすっきりするのではないですか?
市場経済の上で個別課題に対して政府に働いてもらうのです。
>私は近代医学に強い不信感を抱いていますから、それをベースにした医療の無償化に>は強く反対です。
私も確かに医学に不信感を持っております。
しかし、その問題は違うレベルの問題です。
医学の改革も必要ですが、それ以上に医療費の個人負担は軽減すべきです。
現政府は初診料の増額を打ち出しました。
トンデモナイ事です。
貧乏人は死ねと言っているようなものです。
>自分の身体状況を理解ないし説明できない子どもはともかく、大人が風邪を引いたぐ>らいで病院に行くことには強い抵抗があります。
それは別問題。
何も好き好んで病原菌ウヨウヨの病院に行ったりしませんて。
しょうが無いから行くのです。
>(教育に関しても不信感を抱いています。義務教育は国家が国民に押し付けるものな>ので無償が当然だと思っています)
教育の無償化は必要です。
そして何を教えるべきか?についてはもっと議論すべきです。
生きる力を付けるような教育をすべきです。
まずは生活力が目標ですね。
教育の中にもっと労働を取り入れるべきです。
畑仕事なんかもっとさせるべきです。
>>原資はお金持ちですよ。
>>お金持ちは金の使い道に困って賭博経済でギャンブルをやっているワケです。
>>そんないびつな経済だけを活性化させるから貧富の差がますます広がるのです。
>>博打経済に回っているお金を社会的サービスの原資に当てれば格差は縮まり市場は活
>>性化するでしょう。
>>市場経済の発展の為にお金持ちには一肌脱いでいただく必要があるのです。
>>それで収入が増える人もいるでしょう。
>>市場の好循環を作り出すという事です。
>投機的経済活動におカネが投入されるのを助長するような税制変更をしたことは問題>だと思っています。
はい。
>しかし、あなた自身が医療などの無償化が及ぼす影響として書いているように、ギャ>ンブル経済があることで収入を得る人がいることも確かです。
ギャンブル経済のおこぼれで生活するような不安定な収入のあり方はよくありません。
人間にとって必要なものを作る事を中心にする経済で無くてはなりません。
>税制やPKO政策の問題はともかく、ギャンブル経済そのものが貧富の差を拡大する>わけではありません。
デリバティブは架空経済において勝者を生み出し、
ギャンブルで勝った人間に全人類がひれ伏せざるを得ないようなインチキ数字をはじき出してはいませんか?
村上世彰・ホリエモン・三木谷・孫正義がやっている事も同じ事です。
実体経済に架空経済が接木されている事によって金による支配者が生み出されているのです。
これは錬金術です。
しかし、合法的である以上、金融資本による世界支配は強化されるしかありません。
このような錬金術を非合法化する事が必要です。
しかし、それは中々難しい事ですので、当面は徴税による調整しかできないと思います。
>(ギャンブル経済は、基本的に、中高所得者のあいだでのおカネの移動です)
金の移動だけで無く、「信用を創造(デッチ上げ)」しているのです。
>「博打経済に回っているお金を社会的サービスの原資に当てれば格差は縮まり市場は>活
>性化する」かどうかは微妙で、ギャンブル経済を抑え込むと、低中所得者の消費増を>勘案してもGDPの拡大にはつながらない可能性もあります。
>(すぐに推量比較できるテーマではないので、可能性にとどめさせていただきます)
ギャンブル経済を評価する経済指標自体が問題でしょう。
ギャンブル経済を含むGDPという尺度に意味ありますか?
人間の必要を計算し、その必要がどれだけ満たされているか?
という指標を重視すべきです。
>ところで、貧富の差ってそれほど重大な問題なのですか?
金が無くて死なざるを得ない人がいるのは問題では無いですか?
貴方の社会主義の目標には「貧富の差の解消」は無いのですか?
では、社会主義で何がしたいのでしょう?
>>>税金でどのレベルまで調整するかという問題はありますが、“フラット可処分所得”
>>>に近づく政策であれば、結果的に所得ベースで僅少の差になる状況が生まれます。
>>一気にはできませんから少なくとも「累進性を高める」という方向だけでも打ち出す
>>べきです。そして可能な範囲でやっていくべきです。
>現在はともかく、デフレが解消された時点では、課税最低限の引き上げと累進課税の>強化が必要だと考えています。
デフレをどうやって解消するのでしょうか?
デフレは悪い事でしょうか?
デフレとは貨幣価値が増大しているという事であり金融支配がそれだけ強化されるという意味ではよくない事でしょうが、一般的な消費物資の価格の低下は貧乏人にとっては必要な事でもあります。
所得が向上しない者にとってはデフレはむしろ必要な事です。
生活必需品の価格が下がり、金持ちしか消費しないような商品の価格が高騰する事こそが必要な事です。
全ての商品の平均値を出してもあまり意味はありません。
種類別の物価の指標こそが必要な情報です。
>しかし、ワヤクチャさんの言われる基本サービスの無償化は、“フラット可処分所>得”に近いものでなければできないはずです。
意味が分かりません。
ご説明いただけますでしょうか?
>医療の無償化は、健康保険料なども支払わないことでなければ真の意味での無償化で>はありません。そこまで考えると、とんでもない額の原資が必要です。
少なくとも健康保険料を払っている状況下では窓口での支払いは安くすべきでは?
健康保険料は目的税のようなものでこの制度は意味があると思います。
>>累進性の付け方ですが、課税率が段階的に上がる方式では無く、なだらかな曲線を描
>>くような方法は無いものでしょうか?
>>給料の増加に伴って手元に残る金の絶対額は確実に上がるような方式です。
>これまでも現行も、課税率は段階的でも給与所得控除などを細かく調整していますの>で、給料の増加に伴って手元に残る金の絶対額は確実に上がります。
これはお恥ずかしい。
>>>そうなると、高額所得者はいなくなるので税収は極端に落ち込むようになります)
>>上に書いたような計算方式ができれば高額所得者は減らないでしょう。
>温和的な累進強化だと、ワヤクチャさんが主張しているような政策を実行できる原資>は手に入らないはずです。
少しづつしかできないと思っております。
いずれにしても一気にはできません。
>>>健保の他に“国営保険制度”で、現在必要な他者に保険金を給付し、自分の将来に
>>>備えるというかたちはダメですか?
>>取りあえずはそれでもいいです。
>>生まれた時に強制的に加入させる保険は取りあえず必要ですね。
>>しかし、保険は書類提出が必要ですので、無料化が望ましいです。
>>低額医療は無料化して、高額医療について保険で賄うという制度を暫定的に作る手も
>>ありますね。
>医療の無償化にご執心ですね。
>低額医療は、払える人は自分で払い、払えない人は政府部門が支援するでいいのでは>ないですか?
「払えない」という審査が難しいでしょう。
やはり低額医療の無料化しか無いと思います。
>そして、高額医療は、生活全般に大きな影響を与えることになるので、保険制度で負>担をなくすこともできる。
>保険にもかかれない貧乏人は、ぎりぎりの最低ラインの高額医療しか享受できないこ>とになっても、市場経済を認めるのなら仕方がないのではないですか?
市場経済を認めた上で医療の無料化を訴える事がおかしい主張でしょうか?
システムを認めざるを得ないだけであり、「弱肉強食」の思想を認めたワケではありません。
思想は過剰なものであり、システムは現実です。
>(そうじゃないと、もっと安全で栄養価の高い食べ物・快適に過ごせる住宅・ストレ>スの少ない労働環境などを政府が供与すべきになりますよ。それなら、市場経済をき>ちんと捨て去るべきと言うことになります)
市場経済の上でその方向に持って行くという事です。
>>高額所得者が消費に金を回す際に何に使うかを考えれば市場にとって有効なものに
>>使っているとは思えません。
>>贅沢品を買うとしますね。
>>そうすると金持ちに買ってもらう事を当て込んだ贅沢品の不良在庫を生み出す事にな
>>るのです。
>>これは、労働の墓場です。
>貧乏人にも買ってもらう事を当て込んだ品物だって不良在庫になることがあります。
貧乏人を想定した商品は生活必需品であり、これは予測が比較的容易です。
贅沢品は金持ちの気まぐれを予測しないといけないのですよ。
恣意的判断に依存する生産の方が不良在庫を生み出す可能性大です。
>金持ちに買ってもらう事を当て込んだ贅沢品の一部が不良在庫になったとしても、そ>の生産に従事することで所得を得る人たちがいるのなら問題ないのでは?
所得は得ても、売れていないという事はその企業の経営は悪化した事になります。
継続が危ぶまれる事業の存在は市場にとってマイナスです。
>金持ち向けの商品は利益をより多く乗っけても売れる可能性が普及品より高いので、>その生産や販売に従事する人の給与も高くなる可能性があります。
しかし、金持ちの恣意的判断に委ねる為に不安定です。
>そのようなことをもってことさら「労働の墓場」と言わなくても、近代世界で雇われ>て労働している人は労働における充足感を喪失しているのはないのですか?
金持ちの為に「金で覆われた便座」を作る事こそが「労働の疎外」だと考えます。
有機野菜を生産している人は消費者から喜ばれて疎外感は無いでしょう。
それは生かされた労働です。
>>そんな金持ち経済のおこぼれに預かって偶然収入を得るような生活は寄生的生活で
>>す。
>>そんな不確実な生活では無く、金持ちからちゃんと徴税して貧乏人の生活を支える方
>>が健全です。
>みんなが“金持ち経済”のおこぼれに預かって偶然の収入を得ているのが、「近代」>だと思っていますが...
市場経済の中には労働者同士の商品の交換もあるという事をご存知では無いのですか?
野菜と魚を交換する労働者同士の姿を貴方は知らないのか?
海彦・山彦ですよ。
金を介してはいますが。
貴方の経済って観念ですか?
実体としての経済では無く。
>近代経済主体の活動目的は利潤の獲得ですから、雇われ人はすべて、その利潤を自分>のものにできる金持ちのおこぼれに預かって偶然収入を得ていると言うことができま>す。
市場においてあらゆる形態の商品交換があるのです。
金持ちが全て介在しているワケではありません。
だから、市場経済の上での改革を主張しているのです。
>>>長きに渡って続いている「デフレ不況」のなかで、政府債務の履行のために増税を
>>>するのは愚です。
>>金持ちに対してだけの増税でもですか?
>あなたが嫌うバクチ経済に対するものであっても、金持ちが使うおカネの量が減れ>ば、GDPは減少し人々の所得も減少します。
金持ちは多少バクチに対する課税を強化されてもバクチし続けるでしょう。
それしか使い道を知らなかったりするからです。
むしろ、バクチ課税を強化する事で別の使い方を模索し始めるのでいいのです。