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(回答先: 「市場経済」を廃絶してどのようなシステムにすればいいかが分かりません。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 11 月 06 日 20:25:05)
ワヤクチャさん、どうもです。
あなたは、社会主義者ではなく、協同組合主義者や改良主義者(国家による弱者救済主義者)であり集産主義者だったんですね。
(反市場主義・反集産主義を標榜しているものとしては、19世紀から20世紀にかけての左翼運動の変節をたどっているようでちょっとがっかりしました)
>「神の見えざる手」は「見えない」のでは無く「存在しない」と考えております。
>見える手によって市場を統制しようという意見です。
「神の見えざる手」は、“全能ではない”というのならわかりますが、「存在しない」のなら市場経済を維持しようと考えるのはおかしいのではありませんか?
存在しないから見える手によって市場を統制しようというのなら、市場経済を否定したほうがすっきるすると思いますよ。
(たんに経済主体の私的所有=利益の私有を認めるだけのバカバカしい話になるのでは..)
>ですが、一般企業のような利潤追求はできません。
>そのような経営は総代会において批判されるからです。
>利潤が多過ぎると商品価格の値下げが要求されるでしょう。
>職員の給料も一般企業よりは安い水準になります。
>給料ももらいすぎていないか組合員によって監視されているからです。
そんなくだらない組織が経済活動全体を差配するようになったほうがいいと真顔でお考えなんですか?
資本家(経営者)の代わりに組合員(多数派)に監視されて勤労に励むだけではないのですか?
>私はそういう事よりも消費と生産のミスマッチが起こらないようにする事が大事だと
>思っております。売れない商品を作ってしまう愚を避けたいという事です。これは労
>働をドブに捨てる行為です。全ての労働がちゃんと消費者の元に届くようなシステム
>を作りたいのです。
消費者の気分や嗜好は移ろい行くものですから、現在よりはデッドストックや廃棄を減らすことはできるとしても、生産と消費のズレを解消することは無理でしょうね。
ムダな活動も大いに意味があると思っています。遊びはムダの典型のようなものです。
生産結果のムダよりも、労働活動の在り方のほうがずっと問題だと思っています。
>最終的には世界経済の管理が必要ですので大きな組織はどうしても必要です。
>問題はその世界組織の運営にどれだけ多くの消費者が関われるか?という事です。
集産主義者やコスモポリタンには必要なことかもしれませんが、本来、世界経済の管理なぞ必要ありません。
狭い自治体の運営に関われる度合いさえたかが知れているのに、世界組織の運営に多くの消費者が関われるはずもありません。(関わっているという幻想は、民主主義と同じように持たせることはできます)
別のところで書かれている、
「私も住居には畑がついているようなものを作っていくべきだと思っております。
畑の中に住宅を作ればいいのですが。
食料は可能な限り自分で作り、住宅のそばに職場を作るような都市政策が必要でしょう。
住宅と職場を全国に分散させるという事です。
大都市一極集中は渋滞など環境負荷も大きく問題が多いと考えております。
政治もなるべく小さな単位で自立的に行うようにするべきです。
今は国という存在が大き過ぎます。
なるべく小さな地域で全て賄うようにすべきです。」
のほうが、ずっと好感をもてます。
>>自分(家族)の生存維持条件を所有し自分の判断で働くかたちが望ましいと思ってい
>>ます。
>その自分の判断が恣意的であれば売れない商品を作ってしまう事になるのでは?
>自由な生産以前に「本当に必要なもの」を作る事ではないでしょうか?
商品を生産するわけではなく、自分が必要なものや欲しいものをつくるのですから、つくった後で不要になろうが欲しくなくなろうがかまわないことです。
(要らなくなったら、欲しい人にタダであげればいいでしょう)
>>需要を知らせ生産の在り方を誘導することと生産を管理することとは次元が異なる
>>と理解しています。
>そうですか?
>この意味はもう少しご説明いただけましたらと思います。
生産の成果物(商品)について何をどれくらいの量でと誘導することは、生産様式の在り方(固定資本や労働条件など)を管理することとは次元が違うということです。
>失対事業の内容をもっと一人一人の能力を生かせるものにすべきです。
>農作業などにもっと投入すべきでしょう。
>その為には国営農場も必要でしょう。
>働き手が不足している農家に失業者を紹介するような事もやっていくべきだと思います。
無理強いはできませんが、失業者が農業に従事できる政策を推進することには賛成です。
国営農場がいいとは思いませんが、市場に出荷せず、援助物資として使うだけでもいいからやって欲しい政策です。
>>年金受給者・生活扶助受給者などを含めて消費税率アップ以上に所得が増加するのな
>>ら、景気という観点についてなら問題は解消されます。
>ところが所得の増加は市場任せなので政府は保障できないのです。
>税金は政府の専権事項なのでここをどうするかしか考える事はできません。
>税制こそが政治の中心なのです。
所得の増加は市場任せではありません。
利益を上げている企業が給与を引き上げたほうが得だと判断するような税制の施行も可能です。
>>「低価格化さらには無料化」ではなく、家計状況のためにそれらの便益を享受できな
>>い人に補助金を支払うのではダメなのですか?
>取りあえずはそれでもいいですが、それでは証明書類の提出が必要になりますので万
>人が必要なサービスは無料化を目指すべきです。
>医療は国が責任を持って行うべきです。
>「医療の受益者負担」こそ「政治の貧困」の証明です。
>ここに税金を使わずにどこに使うの?って感じ。
>生命保険会社は大反対するでしょうが。
>商売できなくなりますので。
>日本医師会は賛成してくれるんじゃないかな?
なぜ医療など限定的なものは国が責任を持って行うべきなのか疑念を覚えます。
それなら、住宅も食事も娯楽などの享受も国が責任を持って行うべきなのではありませんか?
そして、医療は国が責任を持って行うべきとまで言うのなら、市場経済ではなく、非市場経済(国家管理経済)を志向したほうがすっきりするのではないですか?
私は近代医学に強い不信感を抱いていますから、それをベースにした医療の無償化には強く反対です。
自分の身体状況を理解ないし説明できない子どもはともかく、大人が風邪を引いたぐらいで病院に行くことには強い抵抗があります。
(教育に関しても不信感を抱いています。義務教育は国家が国民に押し付けるものなので無償が当然だと思っています)
>原資はお金持ちですよ。
>お金持ちは金の使い道に困って賭博経済でギャンブルをやっているワケです。
>そんないびつな経済だけを活性化させるから貧富の差がますます広がるのです。
>博打経済に回っているお金を社会的サービスの原資に当てれば格差は縮まり市場は活
>性化するでしょう。
>市場経済の発展の為にお金持ちには一肌脱いでいただく必要があるのです。
>それで収入が増える人もいるでしょう。
>市場の好循環を作り出すという事です。
投機的経済活動におカネが投入されるのを助長するような税制変更をしたことは問題だと思っています。
しかし、あなた自身が医療などの無償化が及ぼす影響として書いているように、ギャンブル経済があることで収入を得る人がいることも確かです。
税制やPKO政策の問題はともかく、ギャンブル経済そのものが貧富の差を拡大するわけではありません。
(ギャンブル経済は、基本的に、中高所得者のあいだでのおカネの移動です)
「博打経済に回っているお金を社会的サービスの原資に当てれば格差は縮まり市場は活
性化する」かどうかは微妙で、ギャンブル経済を抑え込むと、低中所得者の消費増を勘案してもGDPの拡大にはつながらない可能性もあります。
(すぐに推量比較できるテーマではないので、可能性にとどめさせていただきます)
ところで、貧富の差ってそれほど重大な問題なのですか?
>>税金でどのレベルまで調整するかという問題はありますが、“フラット可処分所得”
>>に近づく政策であれば、結果的に所得ベースで僅少の差になる状況が生まれます。
>一気にはできませんから少なくとも「累進性を高める」という方向だけでも打ち出す
>べきです。そして可能な範囲でやっていくべきです。
現在はともかく、デフレが解消された時点では、課税最低限の引き上げと累進課税の強化が必要だと考えています。
しかし、ワヤクチャさんの言われる基本サービスの無償化は、“フラット可処分所得”に近いものでなければできないはずです。
医療の無償化は、健康保険料なども支払わないことでなければ真の意味での無償化ではありません。そこまで考えると、とんでもない額の原資が必要です。
>累進性の付け方ですが、課税率が段階的に上がる方式では無く、なだらかな曲線を描
>くような方法は無いものでしょうか?
>給料の増加に伴って手元に残る金の絶対額は確実に上がるような方式です。
これまでも現行も、課税率は段階的でも給与所得控除などを細かく調整していますので、給料の増加に伴って手元に残る金の絶対額は確実に上がります。
>>そうなると、高額所得者はいなくなるので税収は極端に落ち込むようになります)
>上に書いたような計算方式ができれば高額所得者は減らないでしょう。
温和的な累進強化だと、ワヤクチャさんが主張しているような政策を実行できる原資は手に入らないはずです。
>>健保の他に“国営保険制度”で、現在必要な他者に保険金を給付し、自分の将来に
>>備えるというかたちはダメですか?
>取りあえずはそれでもいいです。
>生まれた時に強制的に加入させる保険は取りあえず必要ですね。
>しかし、保険は書類提出が必要ですので、無料化が望ましいです。
>低額医療は無料化して、高額医療について保険で賄うという制度を暫定的に作る手も
>ありますね。
医療の無償化にご執心ですね。
低額医療は、払える人は自分で払い、払えない人は政府部門が支援するでいいのではないですか?
そして、高額医療は、生活全般に大きな影響を与えることになるので、保険制度で負担をなくすこともできる。
保険にもかかれない貧乏人は、ぎりぎりの最低ラインの高額医療しか享受できないことになっても、市場経済を認めるのなら仕方がないのではないですか?
(そうじゃないと、もっと安全で栄養価の高い食べ物・快適に過ごせる住宅・ストレスの少ない労働環境などを政府が供与すべきになりますよ。それなら、市場経済をきちんと捨て去るべきと言うことになります)
>高額所得者が消費に金を回す際に何に使うかを考えれば市場にとって有効なものに
>使っているとは思えません。
>贅沢品を買うとしますね。
>そうすると金持ちに買ってもらう事を当て込んだ贅沢品の不良在庫を生み出す事にな
>るのです。
>これは、労働の墓場です。
貧乏人にも買ってもらう事を当て込んだ品物だって不良在庫になることがあります。
金持ちに買ってもらう事を当て込んだ贅沢品の一部が不良在庫になったとしても、その生産に従事することで所得を得る人たちがいるのなら問題ないのでは?
金持ち向けの商品は利益をより多く乗っけても売れる可能性が普及品より高いので、その生産や販売に従事する人の給与も高くなる可能性があります。
そのようなことをもってことさら「労働の墓場」と言わなくても、近代世界で雇われて労働している人は労働における充足感を喪失しているのはないのですか?
>そんな金持ち経済のおこぼれに預かって偶然収入を得るような生活は寄生的生活で
>す。
>そんな不確実な生活では無く、金持ちからちゃんと徴税して貧乏人の生活を支える方
>が健全です。
みんなが“金持ち経済”のおこぼれに預かって偶然の収入を得ているのが、「近代」だと思っていますが...
近代経済主体の活動目的は利潤の獲得ですから、雇われ人はすべて、その利潤を自分のものにできる金持ちのおこぼれに預かって偶然収入を得ていると言うことができます。
>>長きに渡って続いている「デフレ不況」のなかで、政府債務の履行のために増税を
>>するのは愚です。
>金持ちに対してだけの増税でもですか?
あなたが嫌うバクチ経済に対するものであっても、金持ちが使うおカネの量が減れば、GDPは減少し人々の所得も減少します。