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(回答先: Re: 「差別だ!」と叫べば、何んでも正当化できると思っているのか? 投稿者 Sirent Tears 日時 2005 年 11 月 09 日 17:50:54)
デラシネの子供だましの議論にはここでは立ち入らないが、頓珍漢な思い込みの議論やドロボー行為の指摘に対して、まともな返答をせず、「不思議とペアで現れる、南青山とODAウオッチャーズ」や「南青山のODAさんよ、ハンドル使い分けてご苦労なこった。(爆)」といった、だだをこねる幼児的反応しか見せないデラシネこそ、「自身が持つプライドに支配され、振り回され、そこら中に当り散らしているだけ」なのではないのか。
議論とは、気持ちの押しつけあいではない。
議論とは、わかり合うことをめざすことでもない。
何かを学ぶということは、学的蓄積の上澄みだけをすくえばいいというものでもない。
何かを学ぶということは、理解できないものは、無視していいというものでもない。
別のところでも書いたことだが、高橋一己は「連帯を求めて、孤立を恐れず」と記した。
60年代の全共闘世代の心性を表した言葉だ。
しかし、後に続く柄谷行人は高橋の言葉を受けて、「孤立を求めて、連帯を恐れず」と書いている。小生の心性は、限りなく柄谷のそれに近い。