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(回答先: 徳で治めるには社会が大きすぎる 投稿者 うぃる 日時 2005 年 10 月 31 日 21:10:23)
>うぃるさん どうもです。このようなご意見は大歓迎です。感謝いたします。m(__)m
【ここ最近の投稿にみられる、徳を中心とした政治機構というのは危険な香りがします。】
まあ、現在の「自分で作った法律も無視して」「反対論者を切り捨てるような」小泉内閣を見れば、その危惧は当然です。ただ、Kは「徳を中心とした政治機構(行政機構とのニュアンス)」を作ろうと主張しているのではなく、「徳を中心にした社会にすべき」と言うことで「これは法体系を含めて考えていますから、徳を無視する行政は否定されるもの」とも考えています。
もっとも、現実的には限りなく困難だろうとは思っています。
【政府部門が個人[自己申告によって、相続人が証明]果たして証明が可能なのでしょうか?疑問に感じます。自己申告で証明したとして、誰が検証するのですか?】
住民票や身分証明(勤めている企業)などで、9割方は「同居」は確認できると考えています。
また、所得証明や預金通帳等で「実情はともかくとして、生計も同一」であることも証明は可能でしょう。
検証は役場、市役所等の公的機関がする事になるでしょう。この時点で「本当の最終的な面倒を見た人」とか「内情を知る友人」等から「特別な異議申し立て」がない場合は「それほど綿密な検証は必要ない」だろうと思っていますが、Kはあくまでアマチュアなので「レアケース」まで綿密に考察はしていません。
【判断方法が明示されていないなら(=属人性をもつ)ならば、その機関は強力な利権をもつことになるでしょう。】
役場とか民生委員、郵便局等レベルの検証レベルの判断であり、利権が発生するほど大げさな判断方法ではないと思いますが、まだ、夢想レベルの提起ですから、もし実際に施行されるなら複雑怪奇な代物になる可能性はあるでしょうね。
【法を守ってズルをする人たちは大嫌いですが、斜めから見れば・法治−(政府部門が)道義・道徳的に認められないと考えても、法を守っていれば許容せざるを得ないシステム・徳治−(政府部門が)徳に反すると考えたならば、処罰を行えるシステム後者よりは前者の方が、まだましだと考えます。】
今回のKの提案は「親孝行をしなかった者には罰を与えよ」という種類の案ではなく、本来は「死んだ人の財産権は消滅するが」一定の条件を満たす事を条件に「相続を認めよう」という種類のものです。これは「親の財産は既得権の一種」という考え方であり、個人の努力とは関係無い「無労働報酬」という考え方です。それをもらうためには「それなりの苦労が必要」ということです。
【政府部門が徳を持っている保証がありません。歴史的にみれば持っていない期間が圧倒的に多い筈です。徳を持たない場合、政府を交換させるというのは事実上、不可能です。】
ここはKも同感ですが、現在の民主主義と言う制度の下では「徳が全くなければ(100%の庶民がそう認識すれば)」さすがにもたないでしょう。歴史では「武力によって国が統治してきた」のですが、近代社会では「それをしたら、世界からそっぽを向かれる」事になるでしょう。
【なるべくズルをしないような人をつくるのは教育の問題です。】
Kも鍵は道徳教育だろうと思いますが、これは大人にも必要ではないかとも思います。昔はあちらこちらに「うるさいおじさん」がいて、理に合わない事は注意したものですが、最近は下手に注意すると暴力が返ってくる場合もあるようです。「子供だけに植え付けた道徳心」では、真面目な子供ほど危険にもなりかねません。社会全体で「道徳」と言うものを考える時代になってきています。
【Kさんがおっしゃる、【徳】はきっと明文化できない性質のものですよね。もし明文化できるならば、法に取り入れて法の一部として機能させる事ができる筈です。】
「欲をかかず、他人を思い遣る行動をする」のがKの考える徳の基本です。「これは自分に必要のない金品をいたずらに貯め込まないで、困っている人を見たら助けてあげる」と言う事です。
孔子は「礼・楽・射・御・書・数」の六芸を習得し「智・仁・勇」の三つの徳を身に付けるように教えたらしいですが、まあ「一人でも多くの人が笑って暮らせる社会を作る」のが『道』で、それを実現するための行動が『徳』と理解しています。
【・押しの弱いものが得をする社会
・押しが弱いものが損をしない(しにくい)社会
どちらもうまく想像できません。】
押しが弱くても正直者ならば「周りの人が味方をして、損をさせないようにする社会」と「正直者が損をし難い法整備が必要」と考えています。
【貴方が公的機関で苦情を受ける立場だとして、ヤカマシク騒ぎだてる人と物静かな人。どちらを優先しますか。】
どのような意味での「ヤカマシイ騒ぎだて」なのかも問題ですが、K個人としては「声の大きい小さいではなく、並んだ順番で処理する事が正しい」だろうとは思います。しかし、実際の現場に立ってみれば「理屈通りには行かないだろうと思います。」
【相続に関する私の理想は分割相続の禁止だと考えてます。(個人の平等に反するので実現は難しいとは思います。)家長なり、長男なり、長女なり、遺言で選んだ人なり、とにかく一人です。】
ここには賛同できません。括弧の中で本人も気づいているようですが、不公平です。これならば「何の救済措置もなしに全て国庫入り(相続という制度そのものの廃止)」の方が良いだろう。とも思われます。
で、最後に今回の一番重要と思われる意見を持って来ました。
【どのようなシステムであれズルをする人を無くすことはできません。
全員が善人にみえる社会は、恐らくどこか見えないところが歪んでます。】
ここは、確かにその通りだろうと思います。しかし、問題点は「現行制度はズルイ奴が何の努力もしないで相続の恩恵を受けていますが」、K案が実施されれば「ズルイ奴は、ズルイ事を誤魔化す努力をしなければ相続の恩恵は受けられません」
法制度が整備されれば「例え誤魔化しが成功したとしても、発覚する事に脅え、時々は良心の呵責を感じる事」になるでしょう。
その中で、ズルイ奴が「あきらめれば」それによって、納得のできない既得権が一つ消滅しますし、総体的にもズルイ奴は減っていく気がします。
絶滅させるのは「無理」としても「少しでも少なくする」事を考えていきませんと、ズルイ奴が増殖していくのです。
誰だって、「苦労せずに相続財産がもらえるならば、苦労しないほうが良いに決まってます。」
もちろん、誰も苦労せずに済むのならそれにこしたことはありませんが、「老人介護」は誰かが苦労しなければならない項目でしょう。
そこは、真剣に考えなければいけません。で、政府の責任が大きいとするならば、遺産は国が相続するべきでしょう。