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(回答先: 日本のアイデンティティ 投稿者 デラシネ 日時 2005 年 11 月 02 日 07:04:54)
自分のアイデンティティを構築するまでには、
組織的価値観に影響を受けながら、
自らの世界観を作っていくと、
私としては表現することになります。
世界観:母・父→大家族→市町村→県→国家→地球→世界
組織的価値観:家庭→大家族→幼稚園→小学校→中等教育(中・高)→高等教育(大学・院)→職業現場
「世界観」・「組織的価値観」を合わせて、「中レベルのアイデンティティ」と定義することにします。
この世界観の中に漂う、
「自分」自身への認識を、
自己アイデンティティと呼び、
世界観のそれそれの部位への認識を、
中レベルのアイデンティティと呼ぶことにします。
偏狭なナショナリズムというものは、
中レベルのアイデンティティが、自己アイデンティティを
上回ってしまったときに発生すると考えます。
これは、本末転倒の状態といえるでしょう。
このような状態の人が、一定の世論を形成したときに初めて、
社会的な意味での「ナショナリズムの勃興」といえることが起きます。
先に示したとおり、中レベルのアイデンティティとは、
自己アイデンティティを形成するためのステップであると考えます。
ここをきちんと、踏み外していない人々の心を、
愛国心と呼ぶべきでしょう。
これは、ナショナリズムとは違うのです。
警戒すべきは、「愛国心」をナショナリズムの意味で煽る、という行為です。
これは、そもそも人権侵害(思想信条の自由)なのであって、
こういう行為に及ぶ当事者たちを、「売国奴」と呼んでも差し支えはないでしょう。
>外来文化に対する寛大さと受容の精神が日本人の特質ですから、言語規制などもってのほかですが、日本人のアイデンティティを改めて追い求めるとするなら、それは文学を見直すところから始めるべきだと思います。
そうですね。古文漢文の義務教育は結構必要なことだと思います。