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この意見はあっしらさんの
【政府部門が人々の生き方に介入して税を吸い上げるような話に好意を抱くことはできませんね。 あっしら】
http://asyura2.com/0510/idletalk15/msg/405.html
に対しての意見です。
【まず、国民には使い切れなかった資産を国に返還する義務があるとでも言うのですか?】
と言う事ですが、Kは社会構造は「国民が個人の人生では使い切れなかった資産を社会構造の中で有効活用する義務がある」と思っています。
それに対し「国民には、自分の努力で形成したのではない資産は適正に申告する義務がある」とも考えています。拾得物は「交番に届けるのが道徳」です。
【”二重課税”】の定義は現在の税制は”多重課税”である事は確かですが、「死んだ人には所有財産(課税対象となる財産)は無い」というのがKの考え方です。
【それを批判するときは、資産は所得によって形成されるものではないという説明をしなければなりません。】
というのは『被相続人の財産は、死亡時点では誰のものでもない』という原則を無視していると考えられます。現在は「暫定的には同居の親族で確定後は血族が『相続(財産の移行)』となるケースが多い」のは確かですが、例えば「相続権喪失」とか「相続権の放棄」という事もあるように「相続権と言う権利」があるだけで、本来的には「社会全体のもの(無政府状態なら近くにいた者が詐取してしまう)」であり「現在は政府が法律によって分配する一時的な資産管理者」になっていると言う認識のほうが適切と考えています。
あっしらさんは「政府は悪」というイメージをお持ちのようですが、現在の政府の人材に問題のある人が多いとしても、それは「道徳心の欠如した者」という構成員の比率の問題であり「本来は政府は必要機構であり、善悪とは無関係な『機関』である」と考えなければならないはずでしょう。
【「親の面倒を見た人」とか「正直者」といった評価を政府部門が行うことが問題だと言っているのです。(もちろん、それがあなたの評価によるものでも問題です)】
Kの考えではK案での実務としての相続の手続きは「自己申告によって、相続人が証明」する事になる。と考えています。厚生年金などの「扶養者控除の申請」のような感じと思うと分かりやすいかもしれませんが、被相続人が死亡した時に「同居で生計を同じくしていた」事はある程度証明は可能だろうと思います。また、同居していなかったとしても「定期的に送金していた被相続人名義の家屋などに住む相続人も、送金の事実が証明できれば相続税は原則非課税」で良いとも考えています。
確かに「最終評価と判断」は公平な第三者(政府部門の可能性は高い)が行う事になるでしょうが、ほとんどの場合は「非課税判定」で問題無いと考えています。
もちろん、Kが評価する訳ではありません。
【企業は“私財の集積”ですよ。】
と言うのは「正しい面と間違っている面」があるのでしょうが「経理的には明確に区別する必要がある」とKは考えています。確かに企業は「個人の夢や生き方の結晶」という面は否定できませんが、企業になった時から「従業員などとの共有」になり、純粋な私財ではなくなり、個人的な報酬はオーナー・経営者であっても「給与として所得するべき」だろうと考えています。ここを混同する事が「現在社会の問題点のひとつ」とも考えています。
【現実はそのような制度ではないのです。現実と理想をごちゃ混ぜにして論じるのは控えたほうがいいでしょう。理想を語るのなら、「企業(私財になっていない)」というトンチンカンな認識ではなく、生存維持活動様式や家族制度を含めて社会構造そのものをどうするのかというレベルまで説明する必要があります。】
現実ではそのような制度ではない。の意味は微妙ですが、Kは現在の延長線としての「未来」で実現可能な制度問題として、提起しています。
「現在の支配層は支配層の不利になる制度改正は受け入れない」と言う意味での「現実的でない」ならば、確かにそのような面もある。と思いますが、多くの庶民が「その方向でも良い」と考えるならば「革命と言う手法をもちいらないで実現は可能」と考えています。
【生存維持活動様式や家族制度を含めて社会構造そのものをどうするのかというレベルまで説明する必要】はないだろうとKは考えています。
【95%の庶民は相続税を納付していませんから、「親の面倒を見る事」を政府により判断されることで“増税”になるひとが増えるでしょうね。】
これは分母問題なので議論しても仕方ありません。Kは現在「土地の評価額によって泣いている多くの正直者」を分母としていますが、一面では「政府の税収は増える」としています。
割合としては「親の面倒も見ようとしないで自分の生きたいように生き、親の財産を当て込んでギャンブルのような人生を送っている不埒な者」も増加傾向ですし「自分では使い切れない資産を貯め込むだけが楽しみという馬鹿な人」も増加傾向ですから、国民全体を分母として考えれば【”増税”】になるでしょう。ここは”庶民増税”の定義問題なのですが、Kとすると”不埒者”は庶民(Kの仲間)とは考えたくない。というイメージを持っています。
【自分の面倒を見なかったから遺産は渡したくないと思う人は、遺言にそう記せばいいのです。(遺留分は相続されることにはなりますが...)】
遺言の制度の活用実態も問題ですが、Kはこの遺留分というのが問題の本質かな?と思っています。血族相続という制度が作り出した「既得権問題」です。ここは「いずれにしても、メスを入れる必要がある」と考えています。
【自分の面倒を見てもくれなかったけど、残った財産は国家に吸い上げられるより子どもたちに渡ったほうがいいと思う人もいるでしょう。】
今現在、人によっては「全財産を血縁者以外の人や機関に寄付する」と遺言する人もいる。と聞いています。どちらかと言うと「財産家に多い」らしいです。(もっとも、財産のない人は遺言制度をほとんど利用しません)
それでも、国家に吸い上げられるやよりは、血縁者に残したいと思う人は圧倒的に多いでしょう。しかし、これは「国家=政府」が信頼できないというイメージでもあります。最近の調査では「福祉が充実するなら増税も仕方がない」の世論も過半数を超えています。もし、税金が増えるならば「生きてる間よりも死んだ時のほうが良い」でしょうし、遺言制度を利用はしなくても「あいつにだけは財産をやりたくない」と言う思いを残して死んでいく人も多いでしょう。
政府(国家でも良い)を「機関」として考えたならば、死後の財産の有効活用を委ねるのが妥当と考える人も増えるのではないでしょうか?
【政府部門が諸個人の生き方に介入することはできるだけ少ないものであって欲しいと思っていますので、好意的な視点では考えられません。所得税の累進性強化は高額所得者の家計の財産形成を抑えることになるので、政府部門の介入を抑制しつつ、死ぬときに使い切れずに残すお金を減らすことができると思っています。】
政府部門のイメージについては繰り返しになるので省略しますが、それならば、所得税の累進性強化でも結局は同じ事(政府が税金の資産運用すると言う意味では)でしょう。ただし、所得税の累進性強化は「(新)自由主義(成果主義によって報われる社会構造)の流れ」に逆らう方法論ですし、「資産家の海外流出」に繋がります。まあ、「金持ちはどこに行こうが知ったことではない」と言うのは理解できますが、貿易黒字で稼いでもその分海外移住されると、日本の成長はない事にもなります。問題は「アメリカの累進性は現在の日本とほぼ同等」というグローバルな視点での現実です。グローバル化の世界では「国家も国民の住みやすさで競争をしている」のです。
その点も考え合わせると「あっしらさんこそ理想論で現実を捉えていない。(累進性強化が財政再建案の増税案としての”対案”になるのならば)」と言う面もあると言う事です。「政府を無くすのは無理でしょう」から「いかに有効活用しようか?」という視点も必要だと思います。
【私が問題にしているのは、現在の国家社会制度で政府部門が相続権の可否を決めるような考え方なのです。】
Kの考えは「道徳心の欠如した者が悪い社会を作る。」というものです。現状では政府にも多くの「不埒ものがいて既得権を貪っている」事はある。だろうとは思いますが「政府部門=悪」という認識がイメージであり、機関そのものは悪でも善でもないが「構成者の資質によって善悪になる」と考えています。
これを少しでも良い方向にするには「道徳心の欠如した人を少なくする社会構造の推進」が重要であり「相続税と言う既得権を考え直す」のは「国民の意識改革」の一つだと考えています。
少なくとも現状のままでは「日本の社会構造は破綻しかねない」(国家破産となるかは別にしても、社会全体が行き詰まる)ような気がします。