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(回答先: どうでも良いが、全く違っている。 投稿者 考察者K 日時 2005 年 10 月 28 日 21:45:22)
【考察者Kさん】
「まず【“二重課税”】と言うのが違っていますね。この場合被相続人は「死んでいますから、使い切れなかった資産を国に返還する」と言う事ですから、課税ではない訳です。」
まず、国民には使い切れなかった資産を国に返還する義務があるとでも言うのですか?
前回説明したように、資産は所得によって形成されるものです。そして、所得には概ね課税がなされています。(“二重課税”は消費税にも言えることです)
既に一度課税された残りで形成された資産に課税することは“二重課税”だと説明しているのですから、それを批判するときは、資産は所得によって形成されるものではないという説明をしなければなりません。
【考察者Kさん】
「現在の制度では「土地の評価額」と「他の相続人の権利の主張」が主な原因で「不幸」が起こります。都会の商店などで「店しか財産がない場合」などでは「店を継ぐ相続人だけが土地の評価額による相続税と店の評価額による他の相続人の相続分を工面する」という状況が往々にして発生し、最終的に「店を売って、義務を履行する」という「親の面倒を見た人が馬鹿を見る」という「正直者は損をする」社会なのです。」
「親の面倒を見た人」とか「正直者」といった評価を政府部門が行うことが問題だと言っているのです。
(もちろん、それがあなたの評価によるものでも問題です)
【考察者Kさん】
「K案では、前にも書きましたら「企業と私財を区別する」事により、企業(私財になっていない)には基本的に税金は発生しません。中小企業であっても「企業財産として処理されていれば企業自体には何のダメージも起こりえません(経営者が死んだという点でのダメージはあります)。」
企業は“私財の集積”ですよ。
【考察者Kさん】
「ただし、ケースには色々なケースがあります。例えば「昔被相続人が農業をしていた田舎の土地」などは相続人が「田舎に帰って農家をする」のではない限り、国に『所有権が戻る』という考え方になります。簡単に言えば「通貨も土地も家屋も、国民が日本国民として日本で生きていく限りは『国が貸し与えている』という考え方」です。」
そのような考え方を否定するわけではありませんが、現実はそのような制度ではないのです。
現実と理想をごちゃ混ぜにして論じるのは控えたほうがいいでしょう。
理想を語るのなら、「企業(私財になっていない)」というトンチンカンな認識ではなく、生存維持活動様式や家族制度を含めて社会構造そのものをどうするのかというレベルまで説明する必要があります。
【考察者Kさん】
「「最終的な親の面倒を見る事(職業を継ぐと言う意味も含みます)」が条件ですが、9割程度の庶民では「減税」になるとKは思っています。
一応書いておきますが「相続時清算制度」は【相続税をさらに強化】と言う事ではなく、「過度の相続財産の排除」と「親の面倒も見ない親不孝者(狡猾な非道徳者)の納得できない相続の排除」と言う事であり、『結果的に国の税収が多くなるとしても、庶民増税では無い』のです。」
95%の庶民は相続税を納付していませんから、「親の面倒を見る事」を政府により判断されることで“増税”になるひとが増えるでしょうね。
自分の面倒を見なかったから遺産は渡したくないと思う人は、遺言にそう記せばいいのです。(遺留分は相続されることにはなりますが...)
自分の面倒を見てもくれなかったけど、残った財産は国家に吸い上げられるより子どもたちに渡ったほうがいいと思う人もいるでしょう。
私が問題にしているのは、現在の国家社会制度で政府部門が相続権の可否を決めるような考え方なのです。
【考察者Kさん】
「個々の事例は様々ですし、問題点はあるのは当然ですが、「面白いかもしれない」と好意的な視点で考えられないのかな〜?と思っています。」
政府部門が諸個人の生き方に介入することはできるだけ少ないものであって欲しいと思っていますので、好意的な視点では考えられません。
所得税の累進性強化は高額所得者の家計の財産形成を抑えることになるので、政府部門の介入を抑制しつつ、死ぬときに使い切れずに残すお金を減らすことができると思っています。