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(回答先: 葬祭戦隊オガムンジャー参上(東京新聞) 投稿者 転法輪印 日時 2005 年 10 月 18 日 13:15:35)
医療の話が延命治療や末期医療など「死」とどう向き合うか?に話題の中身が移ってきた。一鍼多助さんの看病の様子とか、デラシネさんのお父さんの旅立ち方などを読むに付け、元々無関心ではなかった「死」をここ数日幾度と考えた。
そこで、今回
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十年ほど前、東京・品川の桐ケ谷斎場で八十代後半の男性を見送ったときのこと。慌ただしい告別式の間はじっと座っていた高齢の女性が出棺の間際、何も言わずに棺の中の連れ合いに口づけをした。
「遺族の対応で故人が愛されてきたか、疎んじられてきたかが分かる。死に方というのは、生き方なんだと思った」
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を読んで、自分の将来の姿はどんなだろうと思いを馳せる内に胸が熱くなり涙が滲んだ。
最愛の伴侶と双方が認識しているような連れ合いは案外少ないでしょうけど、そういうカップルは片方が亡くなるとそんなに間を置かず後を追うように旅立つとよく聞く。
私の伴侶の祖父母がまさにそのとおりで、祖父は91歳で苦しみとは無縁の往生をした、老衰である。そしてこれといった病気も症状も無かった祖母が3ヶ月を待たずに、眠るように旅立った。食後のお茶を飲み「すこし横になるよ」と告げて横たわりそのまま。
こんな最後を迎えられる人は実に幸せである。
癌だ入院だ看病だ延命治療だなどと、周囲の看病疲れと共に、当事者は大変だ。
先日、ここ2年の間に身内の葬儀が5回などという人の話を聞いた。どれも壮絶な最後で、病床にある人も地獄、それを看る人達もまた地獄という世界が立て続けに5回だなんて。
その点、私の周囲では葬儀はここ30年で2度。それも親兄弟ではない。しかし私の親もいずれこの世を後にする。果たして私の親と兄弟には
「慌ただしい告別式の間はじっと座っていた高齢の女性が出棺の間際、何も言わずに棺の中の連れ合いに口づけをした。」
などという事が起こりうるか?と考えれば可能性はゼロに近い。
私の伴侶が先立ったなら、「口付け」はともかく「この世で出会え、伴侶で居られたことの感謝の気持ち」は誰にも負けないだろうとは思う。その時の涙は多分・・・哀しみではない気がする。
死に方というのは生き方・・というその「生き方」とは、「思いやり、愛情をどれだけ他者に注いだか」ではないでしょうか?
さぁ、お手手繋いで湖畔を散歩でもしてこよっと。微笑み返しを幾度もしながら・・・
(笑っちゃだめよ)