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(回答先: 【日本マスメディアの異常性:被告人弁護の意味も知らないらしい】安田弁護士を応援します【喜八ログ】 投稿者 一市民 日時 2006 年 3 月 21 日 00:34:38)
以前の定者吉人氏は少年の親が契約した弁護士のようですが、それなりにまともな人で、十分にできる限りやっていたと見えるのに(実際に2回も死刑逃れをしている)、なぜ安田のような札付きに変更する必要があったのでしょうかね。
やはり下記の論で100%の実力を発揮し、それで高裁までは行けても、最高裁に見咎められて限界を感じたということなのでしょうか。それともテレビ商売のためなんですか?
http://courtdomino2.courts.go.jp/kshanrei.nsf/c1eea0afce437e4949256b510052d736/db35abfe0bc4594249256bb200385f3d?OpenDocument
◆H14. 3.14 広島高等裁判所 平成12年(う)第66号 殺人,強姦致死,窃盗被告
事件番号 :平成12年(う)第66号
事件名 :殺人,強姦致死,窃盗被告
裁判年月日 :H14. 3.14
裁判所名 :広島高等裁判所
原審 :山口地方裁判所
主 文
本件控訴を棄却する。
理 由
本件控訴の趣意は,検察官渋谷勇治が提出した山口地方検察庁検察官都甲雅俊作成の控訴趣意書に記載されたとおりであり,これに対する答弁は,弁護人定者吉人作成の答弁書に記載されたとおりであるから,これらを引用する。
論旨は,要するに,本件は,犯罪行為自体の客観的な悪質性・重大性等に重点を置き,原審に現れた個別的・具体的な事情を適正に評価すれば,極刑をもって臨む以外に選択の余地のない事案であることが明らかであるのに,原判決は,量刑判断を著しく誤り,極刑がやむを得ないとまではいえないと判断して,著しく軽きに失する不当な刑の量定をしたものである,というのである。
そこで,所論にかんがみ,記録を調査し,当審における事実取調べの結果をも加えて検討する。
第1 所論は,原判決は,本件各犯行の客観的な悪質性・重大性の適正な評価に立脚した一般予防及び罪刑均衡の判断を放棄し,過去の裁判例との単純かつ形式的な比較により無期懲役という結論を導き出して,「本件は一般予防の見地から極刑がやむを得ないとまではいえない。」と判断し,さらに,無期懲役という結論を維持するために,特別予防の観点のみから,いたずらに被告人の個別的・主観的事情のみを強調した安易な論旨を羅列し,それらを本来死刑適用においては特段考慮すべきではない被告人の更生可能性の存在に集約させ,その更生可能性の存在に藉口して,「本件は罪刑の均衡の見地からも極刑がやむを得ないとまではいえない。」と判断して死刑適用を回避したものであり,原判決の死刑適用に関する判断方法には誤りがある,と主張する。
そこで,検討すると,原判決の(量刑の理由)の項の構成は,一において,本件の事案(強姦については計画性が認められ,各殺人については計画性が認められないことを含む。)を摘示し,二及び三において,被告人の刑責が重大である諸事情を摘示し,四において,以上の一ないし三の事情によれば,「被告人に対しては,死刑を選択することも十分検討されるべきである。」と中間的な判断を示し,五において,死刑を選択するかどうかを判断する場合に考慮すべき事項及びその基準とともに,被告人のために斟酌すべき諸事情を摘示し,六において,近時の死刑や無期懲役の宣告がなされた裁判例合計6件について触れ,七において,検察官が原審の論告で指摘した犯行時少年の事件に対し死刑判決が確定した戦後の裁判例38件に言及し,八において,被告人が少年である場合の矯正教育による更生可能性の問題や被害感情ないし被害者保護の問題などに対する原裁判所の見解を説示し,最後に九において,以上の一ないし八を総合して,「本件は誠に重大悪質な事案ではあるが,罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむを得ないとまではいえず」と判断し,被告人に対し無期懲役を選択するとの結論に至るというものである。したがって,原判決は,上記所論前段が主張するような検討から,「無期懲役という結論を導き出し,『本件は一般予防の見地から極刑がやむを得ないとまではいえない。』と判断し」たものではないし,さらに,「無期懲役という結論を維持するために」,上記所論後段が主張するような検討から,被告人「の更生可能性の存在に藉口して,『本件は罪刑の均衡の見地からも極刑がやむを得ないとまではいえない。』と判断し」たものでもない。
上記のような原判決の構成は,上記(量刑の理由)の項の六及び七の他の裁判例に対する説示の部分に特色がある点を除けば,本件のような死刑を選択することも検討すべき重大事件の判決に典型的な構成の一つに則っている。
また,過去の裁判例の検討による事件の比較には,当該裁判例における具体的事情の詳細までは把握できない点において限界があるが,量刑判断の上で重要な事情については,判決中において言及されているのが一般的であって,量刑判断における過去の裁判例の検討による事件の比較の有用性は否定されるものではない。原審の検察官が論告中で上記38件の裁判例に言及したのも,過去の裁判例の検討による事件の比較の有用性を認めた結果であるとうかがわれるのである。そして,検討の対象とする裁判例については,古いものであっても一概に参考にならないと決め付けることはできないが,裁判例にも変遷があり得るから,近時の裁判例の検討こそ等閑視されてはならない。ところが,論告中で言及された上記38件の裁判例は,1件を除くと,検察官自身が控訴趣意中において死刑を選択すべきか否かについて検討すべき場合に参考になると認めているいわゆる永山事件第一次上告審判決(最高裁昭和58年7月8日第二小法廷判決・刑集37巻6号609頁)より以前の古いものであり,残る1件は,いわゆる永山事件第二次上告審判決であった(すなわち,検察官は,いわゆる永山事件以後の裁判例で,犯行時少年の事件に関し死刑判決が確定した裁判例を1件も指摘しなかった。)から,原裁判所が,上記38件の裁判例の検討に加えて,検察官の指摘していない近時の裁判例の中から参考になる可能性のあるものを検討したのは当然のことである。そして,原判決が上記(量刑の理由)の項の六及び七において他の裁判例に言及した説示内容に照らすと,原判決が本件と過去の裁判例との単純かつ形式的な比較をしたものでないことは明らかである。したがって,原判決が過去の裁判例との単純かつ形式的な比較により無期懲役という結論を導き出したとの所論批判は失当である。
以上の検討結果によれば,原判決の死刑適用に関する判断方法に誤りはない。
所論は採用できない。
第2 本件は,原判示のとおり,当時少年であった被告人が,山口県光市所在のアパートにおいて,主婦A(当時23歳。以下「被害者」という。)を強姦しようとしたが,激しく抵抗されたため,被害者を殺害した上で姦淫しようと決意し,被害者の頸部を両手で強く締め付け,窒息死させて殺害した上,姦淫し,その後,同所において,B(当時生後11か月。以下「被害児」という。)が激しく泣き続けたため,その殺害を決意し,被害児を床に叩きつけるなどした上,首に紐を巻いて締め付け,被害児を窒息死させて殺害し,さらに,その後,同所において,被害者管理の現金等在中の財布1個を窃取した,という事案である。
被告人は,中学3年生のころから性行為に強い興味を持つようになり,ビデオや雑誌を見て自慰行為にふけったり,友人とセックスの話をしたりしていたが,次第に性衝動をうっ積させ,早く性行為を経験したいとの気持ちを強めていた。被告人は,平成11年春に高校を卒業し,地元にある配管工事等を業とする会社に就職して,同年4月1日から出勤し,先輩の社員について現場に行き,見習い社員として働いていたが,同月9日及び同月13日は欠勤して,友人宅やゲームセンターでテレビゲームなどをして遊んだ。本件各犯行の当日である同月14日も,欠勤して遊ぶこととし,父親や義母の目をごまかすため,午前7時ころ,会社の作業服等を着た上,出勤を装って自宅を出発し,友人宅で遊ぶなどした後,いったん帰宅して昼食をとり,その後,再び自宅を出て本件各犯行に至っている。
本件強姦致死及び殺人の各犯行は,その結果が誠に重大であるところ,犯行の動機に酌量の余地は全くない。すなわち,早く性行為を経験したいとの気持ちを強めていた被告人は,強姦によってでも性行為をしたいと考え,被害者に対し,強姦の目的で暴行を加えた上,被害者から激しく抵抗されると,殺害してまで姦淫し,さらに,殺害された母親の傍らで被害児が泣き続けるのに対し,付近住民が泣き声を聞き付けて上記犯行が発覚することを恐れるとともに,被害児が泣きやまないことに腹を立て,理不尽にも被害児の殺害にまで及んだものであり,その犯行動機は,極めて短絡的かつ自己中心的で卑劣というほかない。
また,犯行の態様は,冷酷で残虐なものである。すなわち,被告人は,上記会社の作業服を着用し,排水検査を装って原判示の沖田アパート7棟41号室の呼び鈴を鳴らし,被害者がこれを信用したのに乗じて室内に入り,被害者の背後から抱き付き,被害者が驚いて悲鳴を上げて手をばたつかせるのに対し,肩をつかんで後ろに引き倒し,仰向けになった被害者の身体に馬乗りになった上,激しく抵抗する被害者の首に両手を掛けて,その喉仏を両手の親指で思い切り押さえ付けるようにして首を絞めた。そして,被害者が被告人を振り落とそうとして,更に激しく体を動かし,また,被害児が被害者の顔の辺りに這ってきて,激しく泣き叫んでいるにもかかわらず,何らためらうことなく,全体重をかけて被害者の首を絞め続け,被害者が動かなくなった後は,その口に布テープを貼り付けた上,手首を縛って,姦淫の目的を遂げた。さらに,被告人は,泣きやまない被害児を床に叩き付けた上,両手で被害児の首を絞めて殺害しようとしたが,うまくいかなかったので,被害児の首に所携の紐を二重に巻き,これを思い切り引っ張って首を絞め,被害児を殺害した。上記一連の犯行において,被害者及び被害児に対する殺意を生じた後は,被告人には,被害者らに対する憐憫の情やその生命を奪うことに対するためらいといった感情をうかがうことはできず,被告人は,強姦と殺人の強固な犯意のもとに,凶悪な暴力によって,被害者らの生命と尊厳を踏みにじったものであり,残虐な犯行というべきである。さらに,被告人は,被害者らを殺害した後,被害児を押入の天袋に投げ入れ,被害者を押入に入れるなどして犯行の発覚を遅らせようとした上,窃取した地域振興券を使用してカードゲーム用のカードを購入するなどしており,犯行後の情状もよくない。
他方,被害者らに何らの落ち度もないことはいうまでもない。被害者は,当時23歳の若さであり,被害児は,生後11か月の幼児であって,夫であり父親であるCと共に平穏な生活を営んでいたところ,突然,自宅で,いわれのない被害にあって絶命したものであり,被害者らの恐怖や苦痛,そして,一瞬のうちに母子共に殺害され幸せな生活を破壊された無念さ,悔しさは察して余りある。また,遺族らが受けた衝撃や悲しみ,絶望感は誠に大きく,一方,慰謝の措置は全く講じられておらず,遺族らが被告人に対して極刑を望む心情は,十分理解することができる。さらに,平穏な生活を営むごく普通の家庭において,何の落ち度もない母子が惨殺された本件は,社会にも大きな衝撃を与えた。
したがって,被告人の刑事責任には極めて重大なものがあり,本件は,被告人を極刑に処することの当否を慎重に検討すべき事案である。
そこで,所論にかんがみ,当審における事実取調べの結果をも参酌して,更に検討を加えることとする。
1 所論は,原判決は,被害者らを殺害したことに計画性があったとは認め難いとして,この点を死刑を回避するための理由の一つに挙げているが,本件は,強姦を企て,排水検査員を装って女性を物色し,被害者を殺害して強姦した上,その子を殺害したという一連の犯行であり,犯行全体としてみれば,計画性がないとはいえず,また,本件各犯行の動機や態様の実態を直視すれば,被告人が被害者らの殺害を当初から企図していなかったことをもって酌量の余地があるとするのは不条理である,と主張する。
そこで,検討すると,被告人は,本件当日,自宅で昼食をとって再び外出した後,「美人の奥さんと無理やりでもセックスをしたい。」などと考え,排水検査を装って,沖田アパートを10棟から7棟にかけて順番に回って女性を物色し,被害者を強姦するに至ったものであり,本件各犯行のうち強姦は,計画的な犯行であると認められる。これに対し,弁護人は,強姦の点についても計画性はなかったと主張するが,原判決が(量刑の理由)の項において説示する上記計画性を肯定する旨の判断は,供述の信用性の判断を含めて正当なものとして是認することができ,弁護人の上記主張は失当である。
しかし,被害者らの殺害は,原判決が正当に説示するとおり,事前に計画されたものとは認め難く,殊に,被害児の関係では,被告人は,付近の住民が被害児の泣き声を聞き付けて,被害者殺害の犯行が発覚することを恐れ,被害者の傍らで泣き叫ぶ被害児を泣きやまそうと抱いてあやしたり,風呂場の風呂桶の中に入れたり,押入の上の段に入れたりしたものの,被害児が泣きやまなかったため,激高し,被害児を殺害することを決意してこれを実行したというものであり,被告人の行動は場当たり的であって,被害児の殺害は偶発的なものであることが顕著である。そして,上記強姦が計画的なものであるからといって,殺害行為を含めた犯行全体が計画的なものであるということはできない。なるほど,本件各犯行は,これを全体としてみれば,1回の機会に犯されたものではあるけれども,このことは,殺害行為を含めた犯行全体が計画的なものであることとは別問題である。
もとより,被害者らの殺害に計画性が認められないことが,結果の重大性や殺害行為の残虐性を軽減するものではないけれども,刑の量定に当たり,犯行の態様を検討するに際して,本件各犯行の中で最も重視すべき被害者らの殺害行為について計画性が存しないことは,事前に周到に計画された殺害行為に比して,責任非難の程度におのずから違いを生じさせるものというべきである。
所論は採用できない。
2 所論は,原判決は,公判審理を経るに従って被告人なりに一応の反省の情が芽生えるに至ったと認定しているが,被告人は,遺族に対しては,謝罪の手紙すら一度も書いたことがないにもかかわらず,友人に対しては,わいせつな話題,出獄を心待ちにしている様子,検察官に対するひぼう,本件各犯行を茶化した記載など,不謹慎極まりない内容の手紙を書き送っているのであり,現在に至るも罪の重さを全く自覚しておらず,およそ真しな反省の態度が認められない,と主張する。
そこで,検討すると,被告人は,遺族に対しては,謝罪の手紙すら一度も書いたことがない上,当審における事実取調べの結果によれば,被告人は,原審での被告人質問が行われた平成11年11月から原判決の言渡しや控訴申立ての後にわたって,知人に対し,わいせつな話題や遺族を中傷するかのごとき表現をも含む手紙を書き送っていることが認められ,その記載内容や書き送った時期等から判断すると,被告人は,本件各犯行の重大性や遺族らの心情等を真に理解しているものか疑問を抱かざるを得ない。しかしながら,被告人の上記手紙の内容には,相手から来た手紙のふざけた内容に触発されて,殊更に不謹慎な表現がとられている面もみられる(鑑別結果通知書中では,被告人が,「仲間の中ではにぎやかに軽い調子で振る舞い場を盛り上げる」と,また,少年調査票中では,「高校2年時,Dから花火をズボンのポケットに突っ込まれて火傷を負った件に関しては,『ぶっ殺してやろうと思った』と口走ったり,小学校高学年時嫌がらせを受けたエピソードを述べる際には『喧嘩すれば勝つのだが』と,強がりを見せていた」とそれぞれ記載されているほか,少年調査票中では,被告人が,「外面では自己主張をして顕示欲を満たそうと虚勢を張る」とも指摘されている。)とともに,本件各犯行に対する被告人なりの悔悟の気持ちをつづる文面もあり,これに原審及び当審各公判廷における被告人の供述内容や供述態度等を併せかんがみると,鑑別結果通知書や少年調査票中で指摘されているように,被告人は,自分の犯した罪の深刻さを受け止めきれず,それに向き合いたくない気持ちの方が強く,考えまいとしている時間の方が長いようであるけれども,公判廷で質問をされたという余儀ない場合のみならず,知人に対して手紙を書き送るという任意の場合でも,時折は,悔悟の気持ちを抱いているものと認めるのが相当である。したがって,被告人の反省の情が不十分であることはもとよりいうまでもないが,被告人なりの一応の反省の情が芽生えるに至っていると評価した原判決の判断が誤りとまではいえない。
所論は採用できない。
3 所論は,原判決は,被告人の主観的事情について,証拠に基づかない独断ないしは証拠の取捨選択を誤った独自の認定をし,しかも,その評価を過大にし,著しい事実の誤認や評価の誤りを犯した上で,それらの認識事情を本来死刑適用においては考慮するに値しない被告人の更生可能性の存在ということに集約させ,死刑適用回避の理由付けとしたものであって,甚だしく失当である,と主張する。
そこで,検討すると,原判決が勘案している被告人の主観的事情のうち反省状況については,上記2において説示したとおりである。そして,原判決は,被告人自身に関する他の情状として,@被告人は,犯行当時18歳と30日の少年であり,内面の未熟さが顕著である,A被告人には,これまで窃盗の前歴のみで,家庭裁判所から保護処分を受けたことがない上,前科がなく,本件のごとく他人の殺害又は重大な傷害を目的とした犯行がこれまでなく,犯罪的傾向が顕著であるとはいえない,B被告人の実母が中学時代に自殺する等その家庭環境が不遇で生育環境において同情すべきものがあり,それが本件各犯行を犯すような性格,行動傾向を形成するについて影響した面が否定できない,C鑑別結果通知書や少年調査票においても,「事件に結びついた人格の偏りは,まだ矯正教育による可塑性を否定するほど固まっているわけではない」,「これまで顕著な非行行動は認められず,不良文化の親和性は深化していない。人格の偏りもあるが総じて未熟な段階にあり,可塑性を残している。矯正教育は不可能ではないであろう。」と指摘されているなどと認定判断し,量刑に際して,これらの事情をも総合考慮の対象にしている。上記の事実認定及び判断に誤りはなく,所論のうち,原判決が,被告人の主観的事情について,証拠に基づかない独断ないしは証拠の取捨選択を誤った独自の認定をしたとの主張は,失当である。また,原判決が,量刑に際して,上記主観的事情を総合考慮の対象にしたことは,正当なものとして是認することができる。そして,上記主観的事情の評価方法についてみると,本件では,殺害行為について計画性がないこと,1回の機会における犯行であることなど,犯行自体に関する情状においても,被告人のために酌むべき点がある上,原判決自体も,主観的事情を過度に重視したのではないとあえて付言しており,原判決が被告人の主観的事情を過大に評価したものとはいえない。したがって,原判決が被告人の主観的事情の評価を過大にしたとの主張も,当を得ない。さらに,被告人の更生可能性の存否は,死刑適用の当否を検討する場合において考慮される事情の一つであって,これを考慮するに値しないものということはできず,上記チないしトの諸事情に照らすと,被告人について,矯正教育による改善更生の可能性がないとはいい難い。したがって,原判決が,このことを死刑を選択せず,無期懲役に処する理由の一つとしたことが失当とはいえない。以上の判断は,検察官が上記主観的事情に関して原判決が甚だしく失当であるとるる主張するところを参酌しても,左右されない。
所論は採用できない。
以上の事実及び検討結果を踏まえ,死刑の適用に関する上記最高裁判決(最高裁昭和58年7月8日第二小法廷判決)の趣旨に照らし,本件各犯行の罪質,動機,態様,結果の重大性,遺族の被害感情,社会的影響,被告人の年齢,前科,犯行後の情状等を総合し,上記判決後の近時の死刑求刑事案に関する量刑の動向等を併せて考察すると,本件について,極刑がやむを得ないとまではいえないとして被告人を無期懲役に処した原判決の量刑が軽過ぎて不当であるとはいえない。
論旨は理由がない。
よって,刑訴法396条,181条3項本文を適用して,主文のとおり判決する。
平成14年3月22日
広島高等裁判所第一部
裁判長裁判官 重 吉 孝 一 郎
裁判官 菊 地 健 治
裁判官 古 賀 輝 郎