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2006年03月20日
安田弁護士を応援します
「弁護士の中の弁護士」ともいわれる安田好弘さんが、弁護人をつとめる裁判に欠席した件で、各方面から批判を受けているようです。
この件は宮崎学さんのブログ記事「弁護士安田好弘を擁護する」で知りました。
以下に宮崎さんの記事の一部を引用します。
光市事件
1999年山口県光市の会社員宅で妻(当時23歳)と長女(同11か月)が殺害された事件。
当時18歳の少年の被告(現在24歳)は殺人罪等に問われ、1、2審で無期懲役の判決を受けたが、死刑を求刑していた検察が最高裁に上告。
今月、被告の弁護人2名が辞任し、安田弁護士と足立弁護士が新たな弁護人となった。上告審が14日に行われる予定だったが、安田、足立の両弁護士が欠席し口頭弁論が開けなかった。
最高裁第3小法廷(浜田邦夫裁判長)
「正当な理由に基づかない不出頭で、極めて遺憾」
検察
「欠席は裁判を遅らせるのが明らか。弁護人不在のまま弁論を行い、結審すべき」
被害者の家族
「これほどの屈辱を受けたのは初めてだ」
まず最初に被害者おふたりのご冥福を心よりお祈り申し上げます。被害者の親族には同情を禁じえません。もし私が親族男性の立場にいたとしたら、身を焦がすような怒りに我を忘れることは間違いありません。実行するかどうは別としても、自らの手で復讐することを真剣に考えるでしょう・・・。
けれども、司法関係者やマスメディアが盛大に「安田弁護士バッシング」を行なっているのには不審の念を抱かざるをえません。そもそも弁護士は被告人の弁護を行なうのが使命です。裁判官・検察官と一体化して被告人を断罪していいわけがありません。そうなったら裁判は形骸化し、法廷は「リンチの場」と堕してしまいます。
安田氏の職業倫理と弁護技術の高さには定評があります。「弱者の味方」として、ほとんど「カネ」にもならないような事件にも、全力を尽くす弁護士でもあります。安田氏自身は佐藤優氏(外務省職員・起訴休職中)との対談(『月刊現代』2005年10月号)で「弁護士になって楽しいことなんてなかったし、そもそも弁護士活動が楽しいことであるという感覚もありません」と述懐していますが、それでも刑事被告人の弁護に全身全霊をもってあたってきたのです。おそらくは強い使命感に突き動かされて。
その安田弁護士が「今月、前弁護人から引継ぎをしたばかりであり、記録を精査する必要がある。被告人からも更に事情聴取して事実究明する必要がある。そのための期間として3ヶ月は必要」と申請しています。これを「無用な裁判の引き伸ばし」として批判する向きもありますが、はたしてそうなのでしょうか?
安田好弘氏は弁護士になって以来、まともに自宅のふとんで寝る時間もなく、事務所に連日泊まりこみ、事件記録を読み続けて頭に叩き込み、法廷に臨むことを実践してきました。そんな彼が弁護を担当するには相応の準備期間が必要でしょう。弁護士の中には怠惰や無能から、形ばかりの弁護を行なう者もいるようですが、安田氏はその手の弁護士ではありません。
現在、新聞・テレビなどのメディアでは「人権派弁護士」安田好弘を揶揄するような発言が多いようです。これも不思議な話です。すべての弁護士には「基本的人権を擁護し」なければならない義務があります。それは弁護士法第1章第1条に明白に記されています。弁護士は全員が「人権派弁護士」でなくてはならない。仮に「反・人権派弁護士」がいたとしたら、彼(女)の存在そのものが違法なのです。
被害者の遺族が安田弁護士の裁判欠席に怒りを覚えるのはしかたのないことでしょう。私自身が同じ立場にあれば、同じような怒りを覚えるでしょう。けれども「安田好弘とはいかなる人物か」を知っているはずのマスメディア記者たちが、安易に「安田弁護士バッシング」を行なうのには納得がいかない。安田氏をかねてから目の敵にしてきた一部の警察・検察関係者に媚を売っているのではないか? という疑いを禁じえません。
現在、日本のマスメディアでは「弱者の味方」がさげすまれ、「権力のタイコモチ」みたいな人たちが持てはやされる奇妙な風潮がある、と私(喜八)には思えます。「メディアはなんのためにあるのか?」という素朴な疑問への回答は、少なくとも「権力者の下働きを務めるため」ではないはずですが・・・。
投稿者 kihachin : 2006年03月20日 20:15