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(回答先: <読売証言拒否>取材源が公務員なら認めない 東京地裁決定/毎日新聞 投稿者 white 日時 2006 年 3 月 14 日 23:15:29)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060314ic28.htm
「知る権利」どこへ…東京地裁決定は判例に違反
「記者は、公権力が発表する情報以外は取材・報道してはならない」――。新聞記者の取材源秘匿をめぐり、東京地裁が14日に示した決定は、事実上こう述べているに等しい。
だが実際には、記者が守秘義務の壁を乗り越えて情報を得ることで、官民の多くの不正・腐敗が明らかにされてきた。もし、官が一方的に流す情報しか取材・報道できないとしたら、国民に保障された「知る権利」はいったいどうなってしまうのか。決定の論理に従えば、公務員だけではなく、弁護士、医師、公認会計士らへの取材も極めて難しくなる。
記者にとって、取材源の秘匿が最高の職業倫理とされているのには理由がある。不正・腐敗に関する多くの情報は、勇気ある内部告発者から寄せられる。その告発者の名前が明らかにされるようでは、関係者は取材に応じなくなり、公権力の不正などの監視は不可能になるからだ。
日本の裁判所も憲法上の「知る権利」を尊重し、取材源の秘匿には理解を示してきた。記者が公務員に秘密情報の提供を要請することは、真に報道目的で社会的に是認されるものである限り、「正当な業務」というのが、1978年に最高裁が示した判断だ。
また、79年の札幌高裁決定は、今回のような民事訴訟で記者が証言拒否することを、「取材源に関する証言が公正な裁判の実現のためにほとんど必須」でない限り妥当だとし、最高裁も是認した。今回の東京地裁決定が、国民の知る権利の実現のために積み重ねられてきた判例に違反していることは明らかだ。
東京地裁決定は、驚くべき判断を示している。「刑罰法令により開示が禁止された情報の流通について公衆が適法な権利を有していると解することはできない」。つまり、公務員が持つ秘密情報を国民が知るのは「適法ではない」というのだ。これに従うと、政治家や官僚にとって都合が悪く隠したい情報でも、国が「秘密」と決めた途端に、それを公表するのは違法となってしまう。
さらに決定はこうも言い切っている。「新聞記者が取材源の開示を命じられると、取材源からの協力を得ることが困難になるが、それは公務員の守秘義務違反がなくなることを意味するのだから、法秩序の観点からむしろ歓迎すべきだろう」
仮に、公権力が都合の悪い情報も包み隠さず公表するとしたら、決定の論理も成り立つ余地があるかもしれない。だが残念ながら、そんな社会は実現していない。東京地裁の現実離れした判断は、ただちに見直されるべきだ。(小松夏樹)
(2006年3月15日0時20分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060314ic29.htm
東京地裁、情報公開の流れに逆らう決定
新聞記者の取材源秘匿をめぐり、東京地裁が14日に示した決定について―─。
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堀部政男・中央大法科大学院教授(憲法)の話「国民の知る権利を真っ向から否定するような特異な判断だ。万一確定すれば、取材源を明かさないことを前提に公務員が公益情報を提供することは出来なくなる。民事訴訟で取材源の秘匿を認める流れは確立しており、対象が公務員でも同様に判断されている。また、秘密とされる情報も公益に資する場合開示を認めるのが世界の情報公開の流れだが、決定はこれにも逆らっている。民主主義の根幹にかかわることで、メディアは一致して対応すべきだ」
◇
服部孝章・立教大教授(メディア法)の話「公権力を絶対視する一方で、民主社会における報道機関の役割は一顧だにされていない。この理屈で考えれば、記者が個別に努力して取材した公務員の名を秘すことはすべて『犯罪行為の隠ぺいへの加担』に該当し、官公庁が公表すると決めたものしか報道してはならないということになるが、これでは真実の報道は望めず、国民の知る権利は著しく損なわれ、社会全体の損失につながる。担当裁判官には、『公』が出すと決めた情報しか提供されないような閉そくした社会を作りたいのか、と問いただしたい」
◇
27年前、わが国で初めて記者の証言拒絶が認められた裁判の当事者となった元北海道新聞記者、島田英重さん(64)の話「公務員の守秘義務と国民の知る権利を守ることの比重を考えれば当然、後者が優先されるべき。公務員の情報源が守れないとすれば、国家権力をチェックする報道機関の機能は失われ、ジャーナリズムの死につながる。取材相手が公務員であろうと民間人であろうと取材源を秘匿することは、ジャーナリストの鉄則。遺憾な決定と言わざるをえない」
(2006年3月15日0時8分 読売新聞)