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(回答先: 唯物論は、マルクスの専売ではありません 投稿者 健奘 日時 2006 年 2 月 27 日 15:15:29)
健奘さん南青山さん白熱した議論読ませていただきました。
ある意味言えることは、唯物論に対し逆側の考え方が観念論だと言えます。
ではどのように違うかと言いますと観念論は直感的なものを含み、最終的結論に行き着くまでの間に空白があることだといえるのではないでしょうか。
例えば観念論の代表的なものは「神」という考え方があります。
人間を存在させたものが神であり、当然万物を存在させた者も神であるわけです。では人間から神に行き着くまでの完全な論議が出来るでしょうか。どのような宗教家、例えばバチカンの法王といえども完全に100パーセント神を信じていたとしても、人間と神を結びつける理論を組み立てることは出来ないでしょう。出来るとしたら我々にもそれが伝わるはずです。
信じるものが救われると言う言葉がありますが。信じる前にあの世があり神が存在するとはっきりと科学的に理論付けが出来れば、それは観念論とは言わないでしょう。逆に神の存在を科学的に理論付けができると言うことであればそれは唯物論になると考えます。
そして唯物論は直感を持ち込まないで最終的結論まで科学的に導き出すことが出来るものといえます。唯物論として神という問題を考えたとき。人間の存在を進化論として導き出すことが出来ます。そこには残念なことに神が入る余地は無いといえるでしょう、なぜ残念かと言いますと、あの世と言う永遠の生をも否定しなければならないからです。この世が在りあの世が人間に保障されているのであれば、人間ほど恵まれた、また贅沢な生き物は無いといえます。
唯物論は人間の心理をも科学的に分析します。心理学が直感的なもので構成されているとしたならば、それは学問ではないと言えます。
唯物論は天動説から地動説に人間の考えを引き戻しました。その当時唯物論と言わなかったかも知れませんが、直感的観念的考えを科学的に是正しました。
現在の医学はマジナイに頼らず科学的に人間の病気を判断し手術をしたり薬を調合したりします。それは人間を唯物的に見ているからです。そこに心理的要素が入ったものとしても科学的にまた、論理的に分析できるものであるとしたならばそれは唯物論的判断です。
健奘さんは神を信じ、あの世を信じますか。信じないとしたならば考え方が科学的であり、唯物的だといえますが。信じるとしたならば観念論者と言えます。なぜなら弁証法を活用したとしても絶対に結論を出すことが出来ないからです。最終的には神は直感の産物であると結論付けるしか方法が無いからです。
私は今「貨幣とは何か」にはまっています。それは唯物的、弁証法的に導きだすものと捉えています。ここで的という言葉を使ったのは私が唯物論弁証法として考察したものでも第三者から見て観念的(非論理的)に書いていると判断されるかも知れないからです。ただ私自身は唯物論弁証法として考察していくつもりです。