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(回答先: Re: 銀行による信用創造とは。 投稿者 縄文ビト 日時 2006 年 2 月 19 日 07:10:31)
縄文ビトさん、こんにちわ。健康が回復されたそうで何よりです。
さて、銀行による信用創造の話です。縄文ビトさんの疑問から始めます。
“………業者が仕入先に支払った業者の利益分を除いた金額はその機械を製造した製造業者に渡ったとしても、それはまた製造業者の部品購入。製造するための人件費・諸々の資金に消えて行きます。また次の製造業者のために部品を作っている部品業者にしても、人件費その他に消えて行き、業者が出した利益として銀行に還流されてくる金額は非常に少ないものと考えます。………”
受け取った代金を次の支払いに使うとしても、一旦は全額を自分の取引銀行の口座に入金するはずです。数日を経ずして再び引き出されるとしても、引き出されて支払いに使われた後、それを受け取った新たな業者の取引銀行に預け入れられます。つまり、常にどこかの銀行の口座に入金されている訳です。
ある業者が別の業者に支払いをする場合、現金を運搬して行く訳ではありません。小切手を手渡したり、自分の銀行口座から相手の銀行口座へ振り込んだりします。或る銀行から引き出されるとは、別の銀行に預け入れられることです。銀行業界全体で言えば、現金が引き出されることはないと言っても間違いではない訳です。
こうして、引き出されることがないと考えられるからこそ、その10%を準備金として残し、余分な90%を新たな貸し出しとすることが出来るという議論になる訳です。縄文ビトさんの説明に有る信用創造の議論とはそういう事だと思います。この場合、引き出される事のない銀行預金とは、決して遊休資金ではないということです。それどころか、或る銀行の口座から別の銀行の口座へと頻繁に動き回っている訳です。
そこで、預金の90%を信用創造によって貸し出すという事の意味を、もう一度よく考えてみましょう。これは、預け入れられた現金の一部を貸し出すという事とは違うということです。預け入れられた現金は、先程の説明どおり、或る銀行口座から別の銀行口座へと頻繁に動き回っています。其の事と信用創造とは違うのです。
信用創造とは、有りもしない現金があたかも銀行に有るかのごとく貸し出される事なのです。極端な言い方をすれば、無から作り出されるのです。だから創造という表現が使われるのです。無から作り出した貸し付けによって利子を要求するのが銀行業者なのです。濡れ手に泡とはこの事です。
銀行が預金集めに熱中するのは、集めた預金を準備金と見なしてその9倍の貸し付けが出来るからです。決して、預かった現金を貸し付けているのではありません。
“………銀行が最初の貸し出しから始まったのではなく資産家が遊んでいる金を銀行に預けたということです。銀行はそこで預かりましたということで預金証書に金額の印字を打ちます。そして資産家から預かった預金の利子を生み出さなくてはなりません、そこで銀行は資金を必要としている人に預かった時の金利を超えた利息を借り手に要求します。………”
前回の説明を繰り返しますが、資産家に渡された預金証書は預り証貨幣として独自に流通します。という事は、資産家は金を遊ばせている訳ではないのです。遊んでいる金を銀行に預けているのではなく、安全と利便の為に銀行を利用しているのです。
そして銀行は、新たな預り証を勝手に作って別の人物に貸し付け、利子を要求します。資産家の預けた金は二重の預り証として流通し始めるのです。銀行の貸し付けは、簡単に言えば無からひねり出されたものです。これを信用創造と呼ぶのです。難しそうな名前が付くと、聞いた者は感心して、コロリ騙されるという訳です。