★阿修羅♪ > 議論22 > 727.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: Re:我々が通常日本史と呼んでいるものは大和中心の史観である 投稿者 たかす 日時 2006 年 2 月 04 日 21:05:59)
ご意見をありがとうございます。
10世紀より前後でも 関東以北 北方は、列島の”先住民”の土地であったとは、朝廷の職、征夷大将軍の言葉でもわかりますね。もともと列島の先住民、縄文文化と重なるのでしょうが、大陸(半島)から入ってきた弥生文化人(稲作をする人々)の力によって占領され、北へ北への逃れていったと考えられますね。北海道に渡り、長い間、自分達の生活を築いていったのでしょうか。南も同様でしょうね。九州で朝廷に滅ぼされた隼人、なども 先住民といえるでしょうか。
このような、”縄文”史観(といっていいのか)から見ると、北海道のアイヌの問題は どうなるのでしょうか。我々が 半島からの弥生人と列島先住民と縄文との間で、長い時間をかけて、混血が進んできたことを考えると、アイヌの人々は、違う民族 ではない、という風になります。
古代から行われてきた征夷大将軍らの仕事の総仕上げで、今でも混血が進み、最後の自覚ある縄文人(最後かどうか、似た文化がもっと北にもあるのかもしれませんが)がいなくなっていくのを、見ていくしかない、ということになるのでしょうか。
実は、なぜアイヌ、又は沖縄が気になるかといえば、世界の中の占領された国々の先住民は、今後、もうそれを受け入れていくしかないのかなあ、と考えているのです。
日本とアイヌとは、多少特殊な関係にありますが、アボリジニーとイギリス人、フランス人とタヒチ人とは、その他たくさんのエリアは はっきり占領と非占領の関係にあります。(マオリの場合は少し違うが)。
1月26日はオーストラリアの建国記念日でした。各地でお祝いをするなか、アボリジニーがユニオンジャックと南十字星の豪州国旗を焼いて、アボリジニーの自治や、統治を奪っていることへの抗議運動がありました。皆殺しに近い状態で、占領され、人口1パーセントにも満たない彼らです。彼らを見ていると、とてもアングルサクソンの文化の中で、生きていけそうもありません。あまりに違っているからです。
もうすぐ、ニュージーランドでのワイタンギデーです。イギリスとマオリが条約を結んだ日がやってきます。マオリ側に示された内容(翻訳)と英語の意味に食い違いがあり、今でも毎年問題になっています。マオリは、イギリス軍と闘いました。アボリジニーは、平和な民族で あっという間にイギリス軍にやられますが、マオリは、戦闘を日々やっていたという人々で、強く、そう簡単には降伏しなかったので、他の地域での闘いで忙しく 兵をさけないイギリスは、結局条約を結ぶ事にしたわけです。
嘘つきの条約は無効として、マオリ独立を主張する過激な一派もいるわけですが。(つまり、マオリ以外は出て行けと)これは、少数ですが、多くのマオリは、今の生活では、決して幸せではありません。
彼らの暮らしぶりは、全体として、貧しいのです
実は ヒントはあるようなのです。次回また書きます。
とにかく、占領したもの勝ちとは、思いたくありません。世界でもとんと議論になりませんが。
まるで、終わったことかのように。