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(回答先: 会社をESOP&OBM 仕様にするには。 投稿者 如往 日時 2006 年 1 月 30 日 05:26:32)
如往さん、こんにちは。
早速、ご回答いただきまして本当にありがとうございました。
3,4日は内容の検討が出来ない情況にありますが、
内容の熟読を、凄く楽しみにしています。
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今日は本文のレスではありませんが
yu の基本的価値観について、これは曲げられないものとして
時おり気にしている事がありまして、あっしらさんへのレスで
表明させていただきましたものがありますので、その要点の
重要と思う部分を抜粋して紹介させて頂きますが、この点も
ご配慮のうえ、考慮して頂けたらどんなに有難い事かと思っております。
どうぞよろしくお願いします。
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平等配分とは
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以下は
一つの分野別(政治と経済)の両面に通じる問題点の指摘かと思いますが。
(体制の欠陥となって現れ易い、原因についての問題に関する提起ですが)
個人の平等という政治的言葉の中味について、簡単に一言だけ触れておきたいのです。
一つ一つの命の存在にたいして一律平等分配という未完のままに推移する思想に対し
↓
「一つ一つの命の存在(能力の質の大きさ活動内容を配慮し,その必要にも応じた配分方法)、
その業態的能力の内容,活動も評価に入れる事を前提にした配分方法をもって平等と云う、、」
↑
このようなごく普通の常識もガチガチの専門分野には欠けている点では?、と思いますし、
この欠点が財政事情が先細り(破綻)に至る宿命を抱えた政治体制の実現と末路でしょう。
これは政治分野の問題ですが
人類の命に対する平等とは、人類(【という一つの生命の森には大木から草木まで
千差万別の種類が混在して存在し生きている森】)には一律に、予算の都合でツツジの一株
面積程度で平等に分配されるようになった場合、桜や松は弱り、花も咲かせず存在している
事さえままならず、次第にその存在も消えて無くなっていくでしょう。
ツツジには生き易く快適な環境であっても、タンポポやスミレにとっては
一株一株が離れてポツポツ点在する形になり、見る側もわぁ〜きれいとは感じられないし、
何より、花たち自身が、拠所無く充実感のない不自然な環境におかれる事になり満足感とは
遠い条件の押し付けになる。物心両面に満足できるのはツツジの分野だけとなるでしょう。
人類の命・存在に対する平等とは存在の数にたいして 数の平等分配でははなく、存在の
中味が評価された生存,社会に活かされ得る存在としての平等が必要と痛感しています。
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今の日本の実情は、タンポポ,スミレにとってもその環境が保障されないヒドイ状況であり
毎年3万人以上の自殺者を出している現状にたいして、国民基礎年金の設立の目的はやはり
最低限,底辺の生活保障のレベルでの政策実現を先ず実践していくという問題でありましょう。これは小泉後にただちに着手すべく準備態勢中だと思います。 (-yuが準備?笑)
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以上です。余分な部分もありますがそのままにします。
あっしらさんはゆっくり休養されてますでしょうかね〜。