★阿修羅♪ > 議論22 > 688.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 張良さんの中では未だ措定の手続きも定義化もされていないのでしょうか。 投稿者 如往 日時 2006 年 1 月 29 日 01:21:06)
如往さん、こんにちわ。
“………今回のレスを一読して、張良さんの中では未だ「多神教的天皇論」の地均しが完了していないのではとの印象を受けました。………”
其の通りです。
“………おそらく、張良さんの中では「多神教的天皇論」に関して本質の措定の段階もしくは定義化の途上にあるのではないでしょうか。もし、真実そうであるのならば、究極的には個人の内なる信仰の問題に帰すべきことであり、これ以上の言及は詮無きことのように思います。………”
そう仰って頂けると、正直ホッとします。
“………張良さんは日本の何とUSの何が相克の関係にあるとお考えでしょうか。………”
USの進めるグローバル化は、USという国家そのものさえも手段として利用し(従って、いずれは使い捨てにされ)つつ為される、資本の蓄積運動だと思います。その意味では何ら新しいものではありませんが、特徴として指摘できるのは、価値増殖の意味が変質している事です。貨幣の商品的側面が捨象されてしまった今、資本の価値は物質性を失い、現実のリアリティを破壊するものとして機能し始めたと思います。あるいは、そうした側面に純化されたのだと思います。
今起こっている事は、単なる人間労働の搾取ではなく、人間の破壊ではなかろうかと思います。テロとの戦いが意味するのは、其の事であろうと。人間の破壊は人間社会の破壊でもあります。地域社会はもとより、国家も企業も何もかも破壊へと導く凄まじい資本の運動です。
USは、そうした破壊運動の道具として、地球社会に襲い掛かっています。事は、日本云々ではないのです。日本も他の国も、日本人も米国人も全ての地球人が、跡形も無く破壊される危機にあると思います。
人間の有するリアリティを総動員して、飽くなき抽象化への衝動を鎮める必要があります。取りあえずは抵抗する事、破壊の抑止が重要です。其の中から、資本の鎮静化と資本主義からの脱出経路を見出すべき時だと思います。