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(回答先: Re: 日本の学校ではなぜお菓子がもらえないのか。 投稿者 どうして? 日時 2006 年 1 月 24 日 12:57:51)
どうして?さん、ご意見をありがとうございます。
なんて素晴らしい社会なんでしょう。とは、私は、皮肉ではありません。
日本が理想社会とは思っていませんが、階級固定化社会より ましかと思うのです。
>ただし、前提条件があって、日本以外の国の教育や社会のシステムを肯定している場合が多いのではないでしょうか?
ちょっと 私の頭では意味がはっきりわかりませんが。皮肉に捉える前提条件では、他の国のシステムを肯定する場合(ことがらにおいて) ということでしょうか。
日本人は相手の気持ちを読んで、(想像して)、対処する というのは、その通りだと思います。文化の違う人々と接する必要が長いことなかった島国(日本だけではないが)ならでは だと思います。農耕民族だから、敵対より合意が大切だった、という解説もありますね。
理想主義の話ですが、主義をつけたのが、いけなかったのかもしれません。
理想の中でいきている、というか、理想を現実に可能として やっているというのでしょうか。
もちろん、こう思うのは 私が日本人であり、豪州育ちの豪州人には、これが理想と言う発想はないでしょう。きっと別の理想があるでしょう。
私の理想というのは、つまり資本主義では、お金が大切であり、お金のために、皆頑張っている、ということを完全に認めず、思いやり、やさしさ、努力、誠実、を頑張って先生が教えようとしているからです。拝金主義になるのを 必死に防いでいるというのか。
お金のため、欲しいものを手に入れるために、実際はみな働いているでしょうに、学校や先生は、勉強頑張ったご褒美にお金や、おもちゃ、ゲームをつかうことができません。
さらに、お金ではなくても、子供に、いいことをした報酬に、ものを与えることを 日本社会はよしとしないでしょう。
そのかいあってかわかりませんが、こちらでは、日本の若者は、お金にきれいです。
お金を儲けようとして、人をだましたり、人の物を平気でうばったり(色々な人が一つの家にいっしょに住むので)することはないようです。(留学生らの情報、学問的な統計にはなりません)被害者にばかりなっていますよ。人がいいといういか。
この 生徒の学校での活動は、お金(物)のためだけではない。という価値観は、先生の仕事そのものにも現われています。
教師は、労働者というより、人間としてやさしさにあふれる人として期待される。時間外だからと言おうものなら、袋だたきにあいそうだし。
こちらでは 生徒で校則違反者は、規則どおり、どの年齢レベルでも 停学で当然、家庭が対処できないのであれば、専門機関が出てきます。
日本では、先生と生徒の人間関係が重視されるし、規則どおり、はい、停学 では、教育者失格の烙印を押されそうですよね。つまり、先生の人間性で、生徒の心を開き、なんとか更正できないものか、などの努力が多少でも払われます。実際、これは、勤務時間内では不可能な仕事ないようですね。しかし 給料の範囲を越えているとか いないとかの問題にはなりえない。
こちらの国では、大問題です。
私の問題提起が 幅が広すぎてしまいました。
全体が関連はしていますが、思いやり、平等のことは、次回に書きます。
この学校のご褒美については、どのように考えられますか?