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Re: 日本の学校ではなぜお菓子がもらえないのか。
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投稿者 どうして? 日時 2006 年 1 月 24 日 12:57:51: 5huHSJ2zKWnK6
 

(回答先: 日本の学校ではなぜお菓子がもらえないのか。 投稿者 東京音頭 日時 2006 年 1 月 23 日 12:23:13)

はじめまして、東京音頭さん。毎度抽出な論理展開のどうして?です。(汗

>日本には、その考えの先には、なるべく平等の社会がいい、という国民の総意が
>あるからです。
>なんて、素晴らしい社会なんでしょう。

結びの文が感嘆文で終わっていますが、一般に感嘆文には2通りの解釈があるようです。
1つは額面どおりの感嘆で、もう1つは皮肉るときです。今回はどちらに該当するでしょうか?
わたしなら、後者を選びます。ただし、前提条件があって、日本以外の国の教育や社会のシステムを肯定している場合が多いのではないでしょうか?

わたし自身は海外渡航暦はせいぜい最長でも2週間程度の旅行くらいしかありません。
それも10年以上前のはなしです。しかし、細々とですが外国人に語学の勉強で接すると
日本を愛で、評価するいっぽうで、日本を見下すかのような発言を耳にすることがあります。
そこで、自分なりに考えて仮説を考えたりします。ですから、以下はとくにソースなど
ありません。自分の考えですので、お門違いなところもあるであろうことは否定いたしません。

「合意」という考えですが、西欧思想を良しとする人にとっては、「感情」はすべて言語に置き換えられると思われているようです。したがってイエス、ノーに始まり、こういうプロセスで結論はこうしたい、というのを「話し合い」によって、問題を解決し果てのが「両者の合意」と言えるかもしれません。いっぽう、日本人は他民族からの襲来をしばしば受けなかった歴史もあり、風俗や習慣が近似しているせいか、おおむね皆他人と話つくさなくとも、「合意」できます。
また、100%いや120%自己主張してその中から相手との合意点、相違点をみつけて折り合いをせずに、どうせ100%主張しても相手は呑むはずがないと思い、(日本流相手への思いやりの発動)最初から自分も言いたいことの60%くらいで留め、相手も同様で、互いの主張が認められたのが60%残りの40%くらいは自分の主張とは相容れないが、相手を尊重して条件を呑むというような「譲歩」によって「合意」が成立するように思います。そういうプロセスでは、相手はこういう手にでるであろうという「想像力」(別の物言いでは、場を読むとか空気を読む)がものをいうと
思うのです。つまり「対話」よりも「想像力」が重視される点です。(なお、上記の
60%や40%は例としてだした数字であり、根拠はありません)

>理想主義に生きる、いや 生きている気がするのです。

西欧式に慣れた方ならば、上記の譲歩とか謙譲による合意というのはおっしゃるとおり
理想的にしか見えなくて当然な気がいたします。理想は日本式なのだろうけども、現実は皆言いたいことがあるのだから、それを主張して当然だし、「合意」とはそのうえに成立するものだからです。だから、日常においても、自分がいちいち主張しなくても第3者が場を読んで、相手の意に沿うように行動が求められますし、ひいては、それは政策運営の元でも発動されるように思うのです。つまり、政治家は有権者の声なき声に耳をそばだてろと。

この行為「思いやり」は日本人の生活様式の根幹と思われ、教育現場では道徳の時間等を利用して盛んにおこなわれています。たとえば、下校時に突然雨が降ってきて、クラスにはかさのある子とない子がいる。そういう場合、かさのある子はない子は「誰か自分を入れてくれたらな」と思いやる(想像力をはたらかせる)ことで、自発的に「一緒に帰ろうか」と問いかけるように指導され、この小さな積み重ねが大人になっても社会の動きに活かされる仕組みになっているように思うのです。

ここで、先生は「かさがなければ、どうするのか考えてご覧」とかさのない子に対処を考えさす方向には道徳では持っていかないようです。

日本に暮らす外国人が感嘆することのひとつにサービスの良さがあげられます。まるでかゆいところに手が届くかのようなサービスを客が求めなくとも給仕してくれる点です。これなぞは思いやりの典型と思われます。

また思いやりにはある種の平等も伴うように思うのです。機会の平等、結果の平等。つまり刀狩りをされて以降、日本人はお上に不平不満を言う手段が大きく変わったように思うのです。結果、おりこうなサイレント・マジョリティーが誕生し、でも、人間だから、胸のうちには種々の不平不満はたまっています。それを発しなくとも、お上の立場にあるものは拾いあげ対処し、だれかれの不満をなくすことは、すなわち、なるたけ平等社会をつくる以外にないように思うのです。それを自分たち自身で構築するのではなく、第3者が意図を感じ取って、です。だからこそ、高度経済成長時代の日本社会は西側陣営にいながらも、国民の9割が平等だと感じたある種の平等社会が構築されたのだと思うし、あの頃の社会にも問題はあるにせよあれをモデルとしたいと考える人たちは未だに多いのではないでしょうか。ただし、あの時代を視察した旧ソ連の高官が「レーニンの思想はソ連においてではなくて、この極東の小さな島国において完成された」と皮肉ったようですが。

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