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豪州、NZとも似ていますが、学校生活の中で 日本との違いを知っては 驚いています。
ひとつは、ご褒美のこと。
こちらでは、ごみをひろう、先生のいうことをきく、集会中静かにする、宿題をきちんと出す、
などのご褒美は、お菓子やおもちゃです。
学校で、いいことをするたびに、学校用の”お金”をもらい、それを貯めて、学期末に、自分の手持ちのお金を使って 先生が開くオークションに参加するのです。
商品は お菓子、おもちゃです。ハイ スクールになると、このご褒美は、100万円などの現金になります。生徒は一生懸命勉強しますよ。お金欲しいですからね。
さて、こういう教育は 日本のみなさん、どう思いますか。
勉強は なんのためにするの?? 生徒はいつも大人に聞きます。
自分が立派になるため、いい仕事につくため、社会に出てから人にだまされないため。
などなど。でも、ここでは、(イギリスも同じ) お金を得る為なのです。
正直なのです。
日本の先生はたいへんですね。理想を掲げて、それで生徒に向かっていかなくてはいけないのだから。しかし、少し前までは、この学校の理想に大きく裏切らない社会があったのかもしれませんが、それも風前のともし火か。
学校が 現実路線で ”日本の道徳を捨てて 資本主義の理想でいくか” ”社会に理想に近い姿になってもらって お金にならなくても、人に親切にすること、感謝することの大切さを教えていくか” ですね。
こちらでは、だから、落し物を拾ってあげたりすることもありません。
目の前に 何か落ちていても、(見るからに新しい誰かの筆箱とか) 拾いません。
なぜって、自分のものではないし、ご褒美にもならないし。
係りの先生がやってくれるだろうし。やってくれなくても、自己責任ですね。落とした人が悪いのですから。
私は、自分の娘に なくした人は困っているのだから、拾って届けてあげたら、といいます。
うん、と言って、ひろい、そばにいる先生に、渡しました。すると、先生は、落し物を入れる籠にいれていらっしゃい。といいます。
そう、こちらでは、こういう行為に人が介在しません。
拾ってあげた人は、落とした人に感謝され、そして、ありがとう、といわれ 気持ちよくて、人に感謝されることを動機として、人になにかやってあける、という気持ちを育てていく、という態度に価値をおきません。
私は、日本を見ると、理想主義に生きる、いや 生きている気がするのです。
こちらでは 貧富の差が問題になることは あまりありません。あって当然ですから。
格差が広がる なんて、ニュースにもなりません。低賃金層が、ちゃんと暮らせているか その子供達がきちんと学校にいけているか は問題になりますが。
つまり、福祉政策の問題にはなっても、経済政策として、格差を縮めよう、広がりを抑えようなんて政策をおこりっこありません。
日本には、その考えの先には、なるべく平等の社会がいい、という国民の総意があるからです。
なんて、素晴らしい社会なんでしょう。