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(回答先: おそらく、その中核的理念は“Associate socialism”にあるかも知れません。 投稿者 如往 日時 2006 年 1 月 17 日 00:25:19)
「空想家にして救い難い理想主義者たる如往さん……………皇国史観の片鱗が煌いていると感ずるのは私の妄想でしょうか。」とは、もとより軽い冗談の積りでしたが、正面からのお応えに恐縮しております。
“………私は現代社会における試行及び実施をも視野に入れて、“Associate socialism(協同社会主義)”の可能性を探究しています。………”
アソシエーションについては、身近なところでは若い研究者の口から聞いていますし、柄谷行人もそうした運動に理論的な支持を与えていると理解しています。聞きかじりの理解に過ぎませんが、未来イメージとしてはそうなるのだろうなと思ってもいます。
“………“Associate socialism”に社会革命論の可能性を見ていますが、政治革命のプロセス論については正直なところ手が着いてはいません。………”“………固よりベーッシク・インカムの制度それ自体とその導入プロセスについては大へん興味深く受けとめています………”
私の関心は正に其の政治革命にある訳でして、ベーシックインカムも“Associate socialism”の政治的・経済的条件として有効であるとの考えです。
“………戦前と同様に相変わらず真似ることや応用技術にこそ日本のオリジナリティーがあるとの強弁を繰り返しているうちに、基礎技術の開発等のcreativityに繋がる基盤構築をすっかり忘却していたのが戦後の日本であり、新生日本の創世のためには先ずこの立ち遅れを取り戻すことから始めなればならない………”
如往さんの文章に在る“…基礎技術の開発等のcreativityに繋がる基盤構築…”は、政治の理念についてもこれを適用できないでしょうか。
“………自前の民主主義の構想をするために何を独自の素材としてcombineすべきか、あるいは誰を当事者と措定することが可能なのか、………”
戦後60年が作り出した今日の日本社会を素材とするしかないでしょう。私生活主義が蔓延し、1人1台が当然の車社会が作り出す自由の幻想が小泉改革に見当違いの期待を寄せている日本をです。
戦後の日本を、穏健な市民革命という視点で考えるとき、いくつかの特徴が指摘できそうです。@強力な支配階級が存在しないこと。(その代わりにUSが存在する)A(産業や所得の二重構造にもかかわらず)一億総中流意識が形成され、未だに多数であること。B市民とはブルジョアやプチブルというよりも、プチブル化したプロレタリアやプロレタリア化したプチブルが多数であること。C最近進行しつつある二極化は、未だ決定的な階層化にまでは至っていないこと。
以上の事から、市民革命の敵対勢力はUSという図式が想定されます。しかしながら、産業や所得の二重構造からして、上層市民の柔軟な姿勢と下層市民の強硬な姿勢とが不一致を生じるでしょう。そこに二重権力の必要性があります。不一致が分裂に至らないように、上層市民と下層市民の妥協が必要です。そして、戦後の保守政治家が、革新勢力の存在を口実としてUSからの要求を値切ってきたように、権力を握る上層市民は、下層市民の圧力を口実にUSの要求を値切るのです。いや、下層市民は上層市民の権力に対し下から圧力を加えることにより、対USの闘いとするのです。
しかし、上層市民と下層市民とが分裂・対立を避けて妥協し得る条件が無くてはなりません。経済的条件の異なる社会階層を結びつけるものとして、先ずは、対USという国民・国家意識が考えられます。しかしこれだけでは、グローバリズムを掲げるUSに対して充分ではありません。悪くすると、時代に逆行するアナクロニズムとなりかねません。それを避けるには、もう一つのグローバリズムとなり得る世界戦略が必要です。
そうした世界戦略の要点を並べてみます。政治的には平和主義、経済的には通貨共同体、社会的にはフェミニズム、文化的には?(まさに天皇に関わるところです.そして、自己実現のあり方こそ肝心です。)。心すべきは、大東亜共栄圏にならないこと。歴史は正しく反面教師です。そう考えれば、あの馬鹿げた戦争も無駄にせずに済みます。