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(回答先: 現時点で想定する穏健な市民革命は、直接民主主義のより強力な回路を、既存の政治機構に付加する事。 投稿者 張良 日時 2006 年 1 月 16 日 19:50:08)
張良さん、こんにちは。
>空想家にして救い難い理想主義者たる如往さん、こんにちわ。
>此処には、北一輝のような父性原理とは違うとしても、天照大御神に遡る高天原の世界に日本の精神を見出だそうとする皇国史観の片鱗が煌いていると感ずるのは私の妄想でしょうか。
もし、そのように張良さんが真顔で仰っているのであれば、真剣に汚名返上を図らなければなりません。
他の方へのレスでも折に触れて語っていますが、私は現代社会における試行及び実施をも視野に入れて、“Associate socialism(協同社会主義)”の可能性を探究しています。それはこれまでの思索過程の中で“Anarhco-syndicalism”から“Libertarian capitalism”へと繋がり、P.J.プルードンの理論をバックボーンにしつつ、どうにかこうにか到達したものです。
現状は“Associate socialism”についてさらに深く精査し理論構築していくのは勿論のことですが、実践にあたっての当事者能力を醸成すべきdriving force(駆動力)の現出や当事者意識の涵養に資するべき基本理念の創出が懸案事項になっています。けれども、斯様な状態ですので、当然の如く未だに他人(ひと)に開陳できるような代物たり得ません。ただし、基本理念の創出にあたっては所謂皇国史観に依拠することなどは論外であり、その母性的原理(女性原理)がキリスト教的な父性的原理(男性原理)を受けとめるに十分な指導原理として相応しいか否かについては、以前にも表明している通り、全く信頼するに値しないと断じてもいます。
>そう思って見れば、戦後民主主義のもたらしたものとは、実のところ、上げ底の土産物に近いものではなかったでしょうか。期待したほどの内容でもなく、包装だけが気の利いた舶来品です。そして、それらも今や、戦前社会の残滓的遺物と共に解体・変質へ向っています。
戦後民主主義がもたらした恩恵に浴する中で、戦前と同様に相変わらず真似ることや応用技術にこそ日本のオリジナリティーがあるとの強弁を繰り返しているうちに、基礎技術の開発等のcreativityに繋がる基盤構築をすっかり忘却していたのが戦後の日本であり、新生日本の創世のためには先ずこの立ち遅れを取り戻すことから始めなればならないと考えています。
>若し、効果的な政治行動が生み出されなければ、戦後民主主義は確実に終わりを迎えるでしょう。もともとUSによって与えられた戦後民主主義ですから、USによって持ち去られても仕方がないとも言えますが、それならそれでも構いません。自前の民主主義を作り上げるチャンスではありませんか。
「戦前社会を構成していた“幻想”」の再生を願わず、むしろ戦前的なものを解体すべきであるとすることにはおそらくご賛同いただけているものと推察しています。しかしながら、その作業が完了せぬまま、戦後民主主義までを完全に解体してしまったのならば、自前の民主主義の構想をするために何を独自の素材としてcombineすべきか、あるいは誰を当事者と措定することが可能なのか、全く見当がつかなくなるのではないでしょうか。
>現時点で想定する穏健な市民革命は、権力の打倒・奪取を目指すというよりは(おそらくそれは不可能だから)、既成権力への下からの圧力となる市民権力機構を作り出す事、言い換えれば、二重権力の形成です。もっと穏やかな言い方をすれば、直接民主主義のより強力な回路を、既存の政治機構に付加する事です。
謂うまでもありませんが、それには何らかの社会革命の青写真(スキーム)を呈示することが必須であり、さらには政治革命のプロセスを明示することが重要課題になるでしょう。
現在私は、前述しましたように “Associate socialism”に社会革命論の可能性を見ていますが、政治革命のプロセス論については正直なところ手が着いてはいません。けれどもその一方で、固よりベーッシク・インカムの制度それ自体とその導入プロセスについては大へん興味深く受けとめていますので、今後の張良さんの研究と、とりわけ導入理論(?)には大いに期待しています。
また、会いましょう。