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(回答先: 災厄を転じて福となすことができるでしょうか。 投稿者 如往 日時 2006 年 1 月 10 日 11:03:57)
如往さんへ。
“………今日の政治状況を日本人が“conversion”(転位=自立意識の形成)のための必要な災厄(機会)と受けとめ、やがて福となすことができるかどうか楽観はできませんが、固より当事者意識を伴うのは無論のことと心得て、互いにその可能性を探ってゆきましょう。………”
温かくもまた頼もしいお言葉に感謝いたします。ついでに、少し誤解もあるようですので弁明をさせて頂きます。
“………ここに至ると、『日本改造法案大綱』を呈上しようと試みた北一輝の「想い」と張良さんのそれとを二重映しにしてしまうのですが、私の妄想に過ぎぬのでしょうか。………”
妄想です。私は決して「戦前社会を構成していた“幻想”」の再生を願っているのではありません。天皇の意味を問うのは、如往さんの仰る検証と総括とに欠かせない、避けて通ることの出来ない難問だとの思いからです。
視野にあるのは、戦前のあるいは大化の改新以来のスメラミコトに止まらず、それに先立つオオキミ、さらに神話の世界までつながる何かです。デカルトに倣って、神と(神々と)対峙することを課題と考えるのです。
別稿に述べるべーシックインカムも、一君万民の理想国家を作ろうというのではなく、商品経済の21世紀的形態として考えているものです。その際、通貨圏としての国家を考慮せざるを得ないということです。
“………戦前社会を構成していた“幻想”から本当に目覚めるためには、善くも悪しくもUSから与えられた答え(=戦後社会)を肯定し再点検することから始めなければならない………”
肯定し再点検すべき戦後社会とは、どのようなものを指して仰っているのか解説していただければ幸いです。
戦後社会がUSから与えられたように、戦前社会も列強の脅威によって与えられたと言えないでしょうか。幕末以来の日本近代史は、奈良朝から江戸時代までの日本史と様相を異にします。戦前ならば外圧、戦後は占領と事実上の保護国化(独自の外交が存在しない)。要するに、日本は外部世界に直面したのです。
そして今や、外部世界は既に外部ではなくなりつつあります。グローバル化です。日本も日本でなくなりつつあるということでしょう。ならば私達は、どのような地球社会を構想したら良いのでしょうか。あるいは、今ならまだ存在している日本をどうしたらよいのでしょうか。そうした問題意識からする穏健な市民革命です。