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(回答先: 日本人が自身の惨めさを直視する時。…………如往さんの投稿「同心円の中心部を成す仏性」(前半部分)に寄せて。 投稿者 張良 日時 2006 年 1 月 08 日 00:19:23)
張良さん、こんにちは、レスが遅くなりましたことをお詫びいたします。
>直接的に組み込まれる(例えば、州になる)か否かは別として、社会のあり方がアメリカのような移民社会特有の早い者勝ち・強い者勝ちに近づくのではないかということです。こうした社会は人々を競争へと駆り立てます。良く言えばアメリカンドリームですが、その実、コネとパワーを駆使したギャンブルです。
今や「コネとパワーを駆使したギャンブル」で上げられる利益も一部の人達のものとなりつつあるようです。人種の坩堝と謂われるアメリカ社会との正確な比較はできませんが、単一に近い人種の日本社会では競争は表面化せずに時代解消的・漸次的に諸々の格差が拡大していくように想われます。
>また、こうした事とは別に、日米同盟という名の二国間関係は、世界政府とそれに従順な地方自治政府とでも言うべきものです。アメリカの必要と利益に奉仕する日本政府は、日本社会に分断と対立を作り出し、社会の解体をもたらさずにはいないでしょう。それを個人の解放として肯定的に捉えることも可能ですが、所有する金銭の多寡によって計測される解放であることは間違いありません。
帝国主義時代のような植民地にたいする直接的な収奪ではなく、二国間・多国間の上層部が結託して行われる間接的な統治が進行していくのではないでしょうか。それは個人の解放とは程遠いもので、個人間の静かなる分断を推し進め、却って対立を沈静化し、埋没させていくかも知れません。
>希望的観測に過ぎないと言われるでしょうが、想定とはこうです。社会が解体し、寄る辺ない孤立した一人として巷に放り出された時、人々は気付くのではないか。金銭は其の所有者を自立させたのではなく、人々から切り離しただけだったのだ。自立とは、社会を作り出す紐帯を自らの中に見出すことなのだと。
張良さんの「想い」を察すれども、例えば現状の日本人が「社会を作り出す紐帯を自らの中に見出すこと」ができるかどうか、私は楽観できずにいます。ここに至ると、『日本改造法案大綱』を呈上しようと試みた北一輝の「想い」と張良さんのそれとを二重映しにしてしまうのですが、私の妄想に過ぎぬのでしょうか。
>こうした戦後を生きてきた日本人にとって、幻想から目覚めるとは、自身の惨めさを直視することに他なりません。アメリカに食わしてもらってきたという惨めさです。検証と総括とは、今進行しつつある戦後社会の解体によって徐々に進められることと思います。
「幻想から目覚めるとは、自身の惨めさを直視することに他なりません。」ではなくて、先ずは戦前社会を構成していた“幻想”から本当に目覚めるためには、善くも悪しくもUSから与えられた答え(=戦後社会)を肯定し再点検することから始めなければならないのです。それが、遅まきながらでも新たなる検証と総括へのスタートとなるでしょう。
>仰る通りだと思います。しかし、今始まりつつある政治過程が、税金や憲法についての意識をそのままにはしておかないだろうし、そうした問題に直面することで初めて自立意識が形成されるのではないかと思います。
今日の政治状況を日本人が“conversion”(転位=自立意識の形成)のための必要な災厄(機会)と受けとめ、やがて福となすことができるかどうか楽観はできませんが、固より当事者意識を伴うのは無論のことと心得て、互いにその可能性を探ってゆきましょう。
また、会いましょう。