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(回答先: 「自衛」の強弁は負け犬の遠吠えに過ぎぬでしょう。 投稿者 如往 日時 2006 年 1 月 08 日 13:39:47)
男には負けるとわかっていても戦わなければならないときがある。
「負け犬の遠吠え」とは私が負け犬で愚にもつかないことを吠えているということですよね。
あるいは私の投稿名から実在の東條閣下と混同して言っているのでしょうか?
もしそうなら間違っていますよ。東條閣下の遺言を引用しますので読んでみてください。
遠吠えもしていないし、負けてもいないことが理解できるはずです。
《英米諸国人に告げる》
今や諸君は勝者である。我が邦は敗者である。この深刻な事実は私も固より、これを認めるにやぶさかではない。しかし、諸君の勝利は力による勝利であって、正理公道による勝利ではない。私は今ここに、諸君に向かって事実を列挙していく時間はない。しかし諸君がもし、虚心坦懐で公平な眼差しをもって最近の歴史的推移を観察するなら、その思い半ばに過ぎるものがあるのではないだろうか。我れ等はただ微力であったために正理公道を蹂躙されたのであると痛嘆するだけである。いかに戦争は手段を選ばないものであるといっても、原子爆弾を使用して無辜の老若男女数万人もしくは数十万人を一挙に殺戮するようなことを敢えて行ったことに対して、あまりにも暴虐非道であると言わなければならない。
もし諸般の行いを最後に終えることがなければ、世界はさらに第三第四第五といった世界戦争を引き起こし、人類を絶滅に至らしめることなければ止むことがなくなるであろう。
諸君はすべからく一大猛省し、自らを顧みて天地の大道に恥じることないよう努めよ。
《日本同胞国民諸君》
今はただ、承詔必謹する〔伴注:終戦の詔を何があっても大切に受け止める〕だけである。私も何も言う言葉がない。
ただ、大東亜戦争は彼らが挑発したものであり、私は国家の生存と国民の自衛のため、止むを得ず受けてたっただけのことである。この経緯は昭和十六年十二月八日の宣戦の大詔に特筆大書されているとおりであり、太陽の輝きのように明白である。ゆえにもし、世界の世論が、戦争責任者を追及しようとするならば、その責任者は我が国にいるのではなく彼の国にいるということは、彼の国の人間の中にもそのように明言する者がいるとおりである。不幸にして我が国は力不足のために彼の国に敗けたけれども、正理公議は厳として我が国あるということは動かすことのできないことである。
力の強弱を、正邪善悪の基準にしては絶対にいけない。人が多ければ天に勝ち、天が定まれば人を破るということは、天道の法則である。諸君にあっては、大国民であるという誇りを持ち、天が定まる日を待ちつづけていただきたい。日本は神国である。永久不滅の国家である。皇祖皇宗の神霊は畏れ多くも我々を照らし出して見ておられるのである。
諸君、願わくば、自暴自棄となることなく、喪神落胆することなく、皇国の命運を確信し、精進努力することによってこの一大困難を克服し、もって天日復明の時が来ることを待たれんことを。
《日本青年諸君に告げる。》 《日本青年諸君各位》
我が日本は神国である。この国の最後の望みはただ諸君一人一人の頭上にある。私は諸君が隠忍自重し、どのような努力をも怠らずに気を養い、胆を練り、現在の状況に対処することを祈ってやまない。
現在、皇国は不幸にして悲嘆の底に陥っている。しかしこれは力の多少や強弱の問題であって、正義公道は始終一貫して我が国にあるということは少しも疑いを入れない。
また、幾百万の同胞がこの戦争のために国家に殉じたが、彼らの英魂毅魄〔伴注:美しく強い魂魄〕は、必ず永遠にこの国家の鎮護となることであろう。殉国の烈士は、決して犬死したものではない。諸君、ねがわくば大和民族たる自信と誇りをしっかり持ち、日本三千年来の国史の導きに従い、また忠勇義烈なる先輩の遺旨を追い、もって皇運をいつまでも扶翼せんことを。これこそがまことに私の最後の願いである。思うに、今後は、強者に拝跪し、世間におもねり、おかしな理屈や邪説におもねり、雷同する者どもが少なからず発生するであろう。しかし諸君にあっては日本男児の真骨頂を堅持していただきたい。
真骨頂とは何か。忠君愛国の日本精神。これだけである。
どうでしょうか。これが負け犬の遠吠えと言うならもう言葉はありません。
最近の日本を見ると東條閣下の願いも空しく忠君愛国の日本精神は滅亡寸前のようですね。
さて、気を取り直して
>「自衛」や「解放」はその派生物に過ぎません。
「自衛」が目的であり、「侵略」が手段、「解放」が建前だと思っています。
米国が日本を植民地より同盟国候補云々というのは明らかに時間軸がずれていると思います。
日露戦争終結あたりの時代の話をしているのではありません。
第2次世界大戦開始前後、日米戦争を望んでいた勢力は確かに存在していたのです。
中国は日中戦争において米国の支援を受けており、日米が妥協することを公然と反対していました。
ソ連はドイツと正面から戦っていましたので、日本が不可侵条約を破って攻めてくるのを恐れていました。
英国も米国の参戦を望んでいました。米国内でも連合国が倒れると貸した金が戻ってこなくなり都合が悪いという連中がいたようです。
しかし、米国の国民が戦争を望んでいなかったので米国は日本に攻撃されることによって参戦を正当化したかった。陰で様々な暗躍があり日米関係はこじれていったのです。
ハルノートが日米交渉の叩き台などという意見に至っては噴飯ものであります。
東京裁判でパール判事が「このような苛酷な要求を突きつけられたならば、地中海の小国モナコと雖も銃を執って立ち上がるだろう」と言ったのは有名な話です。
参考文献
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog096.html