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(回答先: 高橋是清の功績を初めて知りました。 投稿者 東条英機 日時 2006 年 1 月 08 日 01:00:20)
2.26事件は、天皇が灰色決定をきらい軍法が開かれた、しかし、結局
統制派(東條英機)が勢いをつけただけだった。
その後、石原莞爾が軍部大臣現役武官制を使い、反戦派であり帝国陸軍軍縮を主張する宇垣一成大将の組閣を阻止した。
【石原莞爾大佐などの陸軍中堅層は、軍部主導で政治を行うことを目論んでいた。宇垣の組閣が成れば軍部に対しての強力な抑止力となることは明白であったので、彼らは宇垣の組閣を阻止すべく動いた。軍部大臣現役武官制に目をつけた石原は自身の属する参謀本部を中心に陸軍首脳部を突き上げ、陸軍大臣のポストに誰も就かないよう工作した。】
1934年教育総監に就任、天皇機関説問題では国体明徴運動を積極的に推進し率先して天皇機関説を攻撃。この流れを危惧し陸軍の改革を断行しようとした荒木の後任、岡田啓介内閣の林銑十郎陸軍大臣とその懐刀である軍務局長永田鉄山少将が、真崎を「陸軍三長官」のひとつである教育総監から、栄転という形で大将にして軍事参議官の閑職に追いやった。これに反発した皇道派の相沢三郎陸軍中佐が相沢事件を引き起こす。
更にこの後この流れに反発した皇道派の若手将校により二・二六事件が起こされ、真崎は直接的には加担しなかったが反乱首謀者の安藤、磯部らに共感を示し、組閣命令を期待して行動する。これが元で憲兵隊本部の取調べを受けた後反乱幇助で軍法会議に起訴されたが、事件関与を否認。論告求刑は反乱者を利す罪で禁錮13年であったが、判決で無罪。これによって皇道派の力が衰え、統制派の力が増すことになる。