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(回答先: ベーシックインカム論考C−1(「稼ぎ手としての男性+専業主婦としての女性」で形成される家族像の呪縛から解き放たれる?) 投稿者 張良 日時 2005 年 12 月 28 日 13:45:53)
ベーシックインカムに関する下記サイトの議論を手掛かりに、少し考えてみました。尚、ベーシックインカム自体の説明も同じサイトにありますので、どうぞご覧下さい。
http://homepage3.nifty.com/civilsocietyforum/page061.html
2、社会的貢献活動や文化・芸術活動など、これまでは経済的に評価されないために十分な発展が望めなかった領域が活発になることが期待される。………………
おそらくこの点に関しては、議論百出ではないかと思われます。“…無秩序で責任が曖昧で、望ましくない社会的結果…”も充分予想されます。
果たして、どのような活動が社会に貢献していると言えるのか?自分勝手な思い込みで、無益な事を人々に押し付けているという事態も起こり得るのではないか?経済的評価を受けられない活動に、どれほどの必要性があると言えるのか?
同じことは、文化・芸術活動についても言えます。独り善がりの、あるいは仲間内だけの安易なものに終わるのではないか?経済的評価を獲得する迄の努力や苦しみがあればこそ、真に価値ある創造も可能なのではないか?
これらの懸念を全て肯定した上で、尚且つ、このように考えられないでしょうか。すなわち、そうした有様が人間の偽らざる姿であり、無益なものや無価値なものに血道を上げる中で、時折、広く世の中の為になることや傑出したものが現われるのだと。多くの無駄や失敗の後、初めて、素晴らしいものが生み出されると。
最後は、人間を信じるか否かになるかのも知れません。ともあれ、経済的評価のみが客観的・社会的尺度たり得るのだと決め付けることにも無理がありそうです。この点も、新たな社会に於ける新たな課題と考えられないでしょうか。