★阿修羅♪ > 議論22 > 461.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
ベーシックインカムに関する下記サイトの議論を手掛かりに、少し考えてみました。尚、ベーシックインカム自体の説明も同じサイトにありますので、どうぞご覧下さい。
http://homepage3.nifty.com/civilsocietyforum/page061.html
CBIの社会効果の根拠・必然性は十分か?逆に、無秩序で責任が曖昧で、望ましくない社会的結果を羅列することも可能ではないか?………………
先ず、上記サイトに示されたBIの社会的効果に関する記述を下に引用します。
………(以下、引用)………
BIの特徴と社会的効果
@家族単位でなく個々人に対して所得保障が行われる
A他の所得の有無は問わない
B現在および過去の労働履行が要求されない
ので、
1、性別や結婚、就労のいかんを問わないことで、所得保障が性別分業にもとづく「稼ぎ手としての男性+専業主婦としての女性」で形成される家族像の呪縛から解き放たれる。
2、社会的貢献活動や文化・芸術活動など、これまでは経済的に評価されないために十分な発展が望めなかった領域が活発になることが期待される。
3、労働市場の二重化が進み、不安定度が強まる労働賃金に依存する生活から人々が解放される。
4、所得保障につきものであった資力調査によるスティグマや「失業と貧困の罠」から社会保障制度を抜け出させ、社会保障において永らく争われた「選別主義」か「普遍主義」かの議論を終わらせる。
5、各種の所得控除をなくすことによって税制と社会保障制度の統合化がはかられ、セフティーネットの考え方が変化し、個々人はそれぞれの人生設計に応じて就労による金稼ぎや社会貢献、生活の質の向上といった多様な道を選択することができるようになる。
6、フルタイム労働者とそれから除外される者という勤労者の分断を発生させないために、大幅な「時短社会」との結合を構想(ゴルツ)
………(以上、引用)………
では、各項目ごとに考えてみます。
1、性別や結婚、就労のいかんを問わないことで、所得保障が性別分業にもとづく「稼ぎ手としての男性+専業主婦としての女性」で形成される家族像の呪縛から解き放たれる。………………
確かに、所得保障それ自体は家族像の呪縛を払拭したものとなる訳ですが、人々の意識や生活が本当にそうした呪縛から解放されるかどうかはまた別問題でしょう。ただ言える事は、どのような家族像であれ、それが経済的理由から選択の余地のない事実上の強制ではなくなるということです。つまり、家族のあり方が選択可能になるということです。
勿論、選択可能であるというそのことが、“…無秩序で責任が曖昧で、望ましくない社会的結果…”をもたらす可能性も否定できません。従って、全てが上手くいく理想的社会になるという捉え方は不適切でしょう。むしろ、新たな社会は新たな課題を人々にもたらすのだと考えるべきです。
家族のあり方が選択可能であるとは、親子のあり方や夫婦のあり方、そして男女のあり方が選択可能となることでしょう。人間社会の基礎となるそうした関係がどのように変化するのか定かでない状況が生まれると言えます。
しかし、“…「稼ぎ手としての男性+専業主婦としての女性」で形成される家族像…”を理想的なものと考えるのでなければ、新たな人間関係の創造へ向けて一歩踏み出すことを躊躇うことはないとも言えます。歴史的に見ても、上述の家族像は大正時代の都市部サラリーマンに始まり、戦後の高度成長期に一般化したと言われています。時代の要請で生まれた家族形態を、人類の理想とまで考えなくても良いのではないでしょうか。