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(回答先: 断じて八紘一宇なんぞではなく。 投稿者 張良 日時 2005 年 12 月 17 日 00:45:53)
張良さん、こんにちは。
投稿開始時の、HNを何にしようかと迷っているときには想いつきませんでしたが、「如往」に最も近いのは「覚有情」かも知れません。それを極道の身がconversionしていくためのメルクマールと捉えることも可能です。ただし、私自身は極道の世界とは縁も所縁もありません。(特段張良さんのHNの謂れについて想いをめぐらすことはなかったのですが、今回少し興味を覚えました。)
>フェミニスト陣営のことはチョッと忘れることにして、雌的存在が“…最終的には“Matrixとしての自覚”に至る可能性を有…”するとすれば、雄的存在はそうした可能性から切り離された「空」なる存在と言えないでしょうか。
「メディア身体」を狭義において『「空」なる存在』と解されても一向に差し支えはありません。むしろ今回のレスはそうした意味合いを盛り込んで、さらには「メディア身体」の可能性に焦点を中てようとしたものです。
>そこで、「空」なる存在には如何なる“…mission…”が降りて来るのかと問うとなにやら武士道の雰囲気ともなります。神話的過去への退行でなく、日本武士道ならば構わないのでしょうか。
例えば江戸期から明治期にかけて武士道精神が如何ほど広汎に日本人の心に根付いて行ったか大いに疑問であると思っています。それどころか、遺憾ながら日本武士道はmissionを授かるべき普遍的な器とはなり得ず、徒にその復権を希求するのは再び退行を繰り返す愚をおかすことにもなりかねないでしょう。
>そして今や、本家の西欧に於いても、此処日本に於いても、自我なるものの限界が露呈しつつあると思います。言い換えれば、自我への問いかけが再度必要になっているのではないでしょうか。内なる神となってしまった自我の正体を暴く必要に迫られているのではないかということです。
もちろん、そのように自覚することは重要であると考えますが、私はその自我すらも果たして日本人は獲得したのか、疑念を呈さずにはおられません。けれども、この件に関係することとして張良さんが何故敢えて天皇もしくは天皇制のcontextを辿ろうとされるのか不可解な想いになります。いつか機会をとらえてその経緯について開陳していただければ幸甚に思います。
>三重の留保付きとは言え、日本人に授かるべき“…mission…”を考慮に入れて頂ければ幸いです。もちろん、断じて八紘一宇なんぞではなく。
今のところ「メディア身体への転位」の顕現として日本人(主に雄的存在)は地球世界に飛翔し、彼の地にてmissionを受け取ること以外には手にするべきモメントはないのではと想っています。「メディア身体」にとって自問自答が意味するものはこのような未来に向けてのtrialに外ならないのです。
四半世紀以上前のことで恐縮ですが、蛇足を申し上げれば、どうも日本という国は「メディア身体」の帰郷には冷たいようです。文科系の私はそれほど不利にはならずに済みましたが、青年海外協力隊員だった理科系の弟とその友人達が帰国してからの職探しは専攻とのマッチングの問題が大きな障壁となって相当難儀したものですし、結局多くの人達が教職課程を履修しなおして教師の職を求めていくことになりました。しかし、こうした逆境にもめげることなく後輩達にはどんどん地球世界に飛び立っていって欲しく思っています。
また、会いましょう。