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(回答先: メディア身体への転位あるいはMatrixとしての自覚 投稿者 如往 日時 2005 年 12 月 16 日 05:29:28)
如往さん、こんにちわ。遅ればせながら気付きました。「如往」というのは「如来」を捩ったものですね。悟りの境地に斯くの如く来たりし者でなく、これからそこへ往こうとする者ですか。今時、見上げたお心がけです。あるいは単に、往生へ至る今生の生き様を指してのものでしょうか。それもまた、覚悟の程が窺えて敬服致します。
では、本題です。
………、“メディア身体への転位”とジャンプするときには何らかのmissionがあってしかるべきであろうとの想いがあります。………………けれども、神話的過去への退行状態から脱却できない雄的存在(日本の)には未来へと導くようなmissionは降りては来ないかも知れません。………
“…mission…”という宗教的色合いの言葉にはどのような含意があるのかよく分かりませんが、ふと思いましたのは仏教用語の「空」です。実は密かにこの言葉を座右の銘としています。書き込んでしまえば密かにではなくなりますが、まあ其の程度ということでご理解下さい。
フェミニスト陣営のことはチョッと忘れることにして、雌的存在が“…最終的には“Matrixとしての自覚”に至る可能性を有…”するとすれば、雄的存在はそうした可能性から切り離された「空」なる存在と言えないでしょうか。
そこで、「空」なる存在には如何なる“…mission…”が降りて来るのかと問うとなにやら武士道の雰囲気ともなります。神話的過去への退行でなく、日本武士道ならば構わないのでしょうか。
………「外なる神として既に日本人は天皇を持っていた」と断定することができぬが故に、日本人においても「近代精神は、内なる神として自我を見出した」とされることに大いに疑念を懐いています。………
西欧的近代と日本の近代が異なるものである事に何の不思議も無いと思っています。自我の様態は、当然、社会の様態によって異なるでしょう。にも拘わらず、この地球上で起こる事は、案外似たようなものではないかとも思っています。必要なのは、何処がどのように違うか、注意を払う事でしょう。
そして今や、本家の西欧に於いても、此処日本に於いても、自我なるものの限界が露呈しつつあると思います。言い換えれば、自我への問いかけが再度必要になっているのではないでしょうか。内なる神となってしまった自我の正体を暴く必要に迫られているのではないかということです。
一方、外なる神であったはずの(決して断定する積りはありません)天皇は、今日、其の存在意義が不確かなままです。古代から続く謎を解き明かすべき時が近づいているのではと感じています。ついに建設できなかった日本国の象徴とは何なのでしょうか?ついに形成されることの無かった日本国民統合の象徴とは何なのでしょう?いまだ大いなる謎ではないでしょうか。
………USやその背後にある勢力が画策するグローバル化ではなく、ここにある人々が―断じて八紘一宇なんぞではあらぬ―独自のグローバル化の有り様を模索しつつ世界に飛翔していくとしたら、地球世界にとっても素晴らしい福音(済度)を齎すことになるかも知れません。果たして日本人がそうしたmissionを授かる存在として相応しいかどうかは定かではありませんが、それを確認・検証することくらいは試みてもよいのではと思うことはあります。………
三重の留保付きとは言え、日本人に授かるべき“…mission…”を考慮に入れて頂ければ幸いです。もちろん、断じて八紘一宇なんぞではなく。