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(回答先: メディア体への転位 投稿者 如往 日時 2005 年 12 月 14 日 00:00:00)
如往さん、今度は字を間違えません。さて、丁寧な論評を頂き感謝します。何度か読み直し、良いご返事が出来ないか考えました。しかし、現時点では大した内容にはなりません。ご辛抱を願いつつ少々書いてみました。
先ず、如往さんの文章から。
………この国土において自ら答えを出すためのtrialが不可能だとすると、世界の各地にfieldを求めその地で寄与していくような、謂うなればメディア体への転位というような日本人の未来像もあるのかなと夢想しています。もちろん、その故郷が地球のユーラシア大陸の東に永らく存在するとしたら、それはそれで麗しいことだと思います。………
日本人の未来像に関する如往さんの“…夢想…”に、多いに共感します。正しくそのようなものであろうと思います。そして、“…その故郷が……永らく存在する…”ことを願っております。
今日のグローバル化とは、正に地球世界がそのような“…field…”へと変化し始めたことなのだと思われます。日本という国の領域に囚われることは、徒に可能性を狭めるばかりでなく、実際には破綻しかもたらさないのではないかと思っています。肝心なのは、グローバル化の是非ではなく、グローバル化のあり方だと思っています。
………要はそのことに日本人が如何に耐え得るかということですが、遺憾ながら現状では忍ぶための拠り処を我々が有しているとは断言できないと思っています。………
確かに断言できません。結局、如往さんの予測が当たるのかも知れません。しかし私が思うのは、日本人とは案外グローバル化に適しているのではないかという事です。何故なら、天子を戴く国ですから。
………果たして社会システムの変更までを希求するようなマルチテュードとしての自覚が日本人に生まれ得るか、それは至難であろうと考えています。むしろ、2極化への推移とその影響が漸次的なものならば日本人の意識は物事を収束させる方行に向いてしまうのではないでしょうか。………
ご指摘の“…物事を収束させる方行…”が“…社会システムの変更…”に至らないとしても、そこに一定の評価すべき内容を見出すことは出来ないだろうかと考え込む訳です。
………隣国と国境を接していないことが幸いして、日本は他国による長期にわたるような過酷な統治を受けず、したがって民族離散の憂き目にも遭わずにいられた世界史上も稀有な国です。つまり、外力の理不尽さに耐え兼ねてそれを撥ね返そうと働くようなpathosの生成が日本人のethosの中に遺伝的(伝統として)に組み込まれることはなかったのです。つまり、フランスにおけるような市民革命の蠕動すら生まない背景にはこうした歴史的経緯があると想われます。………
「市民革命」という用語が、あるいは、間違いであったかも知れません。せめて、「穏健な」という修飾語を付けるべきでした。フランス革命は200年前の出来事であり、それをなぞるかのような政治変革が有り得るとは思いません。
また、“…pathosの生成…”が無かったとすれば、それは、民族としての日本人なるものもまた生成していないということになりはしないでしょうか。明治維新政府は、西欧諸国への対抗上、日本国家あるいは日本人の形成に意を尽くしました。しかし敗戦により、其の試みは道半ばで挫折したのだと思います。
敗戦後、日本の歴史上初めて、日本人は他国の支配を受けたことになります。しかしそれは、“…長期にわたるような過酷な統治…”とはなりませんでした。東西冷戦が、日本人に幸いしました。占領者であるアメリカは、対共産圏戦略上、日本の経済発展に一定の配慮をせざるを得ませんでした。
事態が変わるのは、ソ連崩壊によって東西対立が完全に終焉した時からです。日本に対するアメリカの姿勢は確実に変化したのです。さらには、アメリカ自身の経済・社会に於ける変化があります。“…長期にわたるような過酷な統治…”は、これから始まるものと思われます。
しかし、アメリカの統治は巧妙です。グローバル化の奨めという世界戦略と日米同盟という装いの下に進められようとしています。民族による民族の支配ではありません。だとすれば、今の日本人に必要なのは、民族のpathosやethosではなく、あるべきグローバル化としてのオルタナティブということになります。もう一つのグローバル化が必要です。
日本人が目指すべき「穏健な市民革命」は、単なる反米ではなく、アメリカ民主主義を超える民主主義革命とでも言うべきものではないでしょうか。アメリカンスタンダードを超える言葉どおりのグローバルスタンダードの形成です。
モデルとなるのは、フランス革命ではなく、もっと古いアメリカ独立戦争ということになるかもしれません。もちろん戦争はしません。アメリカ建国の理想を凌ぐ理想国家の建設です。
なにやらとんでもない結論になってしまいました。ついでに神の件です。
………畏怖すべき対象(神)をもつことが日本人にとって必要と謂えるかも知れません。しかし、その神は何時になったら顕現して来るのでしょうか。………
「神の正体を知る」とは、必ずしも“…畏怖すべき対象(神)をもつこと…”とは思いません。近代精神は、内なる神として自我を見出したのだと思いますし、外なる神として既に日本人は天皇を持っていました。いずれにしろ私たちは今、其の正体を知らずには一歩も前進できないところまで来ているように感じます。