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(回答先: 日本では市民革命は起こりえない 投稿者 膝枕 日時 2005 年 12 月 13 日 12:39:30)
膝枕さん、こんにちわ。羨ましい暮らし振りですね。「真に受けないように!」とありますが、話半分としてもあやかりたい気持ちです。
以下、膝枕さんの文章から引用させていただきます。
………「ひっくり返す」などという方法論の市民革命など意味は無い、逆に「次を狙っている奴」に利用されるだけ。………
仰る通りだと、実は思っております。ですから、「ひっくり返す」というのとは少し違うイメージで考えている積りです。実際、国民主権を定めた憲法は既に存在している訳ですから、ひっくり返すどころか、まつろわぬ者達を懲らしめるという姿に近いのではと思います。決して、権力機構の転覆などではありません。
………時既に遅し。今は見事なくらい磐石。………自滅を待っていても敵の勢力は増すばかり。………
この点では、やや違った見方をしています。資本主義社会は常に変化・発展を必要としています。如何に磐石だとしても、それは、決して固定を意味しません。と言うより、安定と不安定が共存しているのだと思います。不安定を的確に捉えることで、一定の変革も可能ではないかと思うのですが。
………米が無くなって久しいというほど時が経ち、周囲に屍が当たり前になってきたときはじめて「自分も屍になるかもしれぬ」とやっと気がつく程度の人種ではないでしょうか?………
はて、そうでしょうか?お代官様の目を盗み、何処やらに小判などを隠して、したたかに暮らしてきたのが百姓だったようにも聞いています。戦後の自民党政治においても、ガッチリ実利を掴んで放さなかったのが庶民の実態ではないでしょうか。現に、エコノミックアニマルと言われながら、ひたすら金儲けに邁進した結果が今日の経済先進国ということでしょう。
しかし、こう説明してくると、かえって馬鹿にされるかもしれません。「そんなものは革命でもなんでもない。仮に実現しても、何ほどの意味もあるまい。」という具合に。確かに、市民革命とは大げさかもしれません。精々のところ、小泉改革とはチョッと違った改革というに過ぎないのかも知れません。敢えて革命を唱える積りはありません。
………残っている方法論は唯一つ「神の正体を知る」ことだけだろう。………
確かに、共感できるお言葉です。絶対のキーワードかも知れませんね。