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(回答先: 小泉が、日本人を市民革命に導いてくれるかも。 投稿者 張良 日時 2005 年 12 月 13 日 11:50:31)
と断言できてしまうほど日本という国にはそういう可能性は元々ない。
明日の米が在る内はひたすら耐え続けるのが日本人。今日の米がなくなってもまだ革命は起きない。米が無くなって久しいというほど時が経ち、周囲に屍が当たり前になってきたときはじめて「自分も屍になるかもしれぬ」とやっと気がつく程度の人種ではないでしょうか?
テレビや新聞などが無い大昔でさえこの有様なのに、今日ではテレビというカルトの信者に成り下がってしまった大半の日本人。やりたい放題されていてもカルト信者には判断力すら残っていない。思えば戦後テレビが普及した時点で今日の姿は予見できたはず、そして二大政党が理想的なのだとすっかり騙され、社会党が見事に消されてしまったあの時点でその仕上げが成されてしまった、時既に遅し。今は見事なくらい磐石。
槍を持っても意味は無く、啓蒙しようにもカルト信者の脳味噌には撥ね返ってしまうだけ。自滅を待っていても敵の勢力は増すばかり。およそ革命など夢見ることに何の意味があろうか?世の中に張り巡らされたこの仕組みをひっくり返せば「新しい世になる」というのは幻想に過ぎないことも我々は歴史から学んでも居る。ひっくり返しても結局は別の誰かが入れ替わり前よりもっと巧妙に居座るだけで良くなる事など夢のまた夢で有り得ない。だからこそ「ひっくり返す」などという方法論の市民革命など意味は無い、逆に「次を狙っている奴」に利用されるだけ。
残っている方法論は唯一つ「神の正体を知る」ことだけだろう。私は少し分かってきた。それ故私は山奥で隠遁を始めた。・・・・・・などと言い切れればよいのだが現実は厳しい(笑)。
しかしまぁよい、私は今日も囲炉裏に吊るした鍋で雑煮を作り(味噌味の豚なし豚汁風)川魚の塩焼きをかじりながら愛妻の顔を眺めていれば何の不足も無いのだから。・・・などとこれまた満足と言ってもいられない、何故ならこの愛妻、どういうわけか精力体力極めて旺盛、酒を飲ますとターボがかかり、なかなか眠らせてくれない。夕べもやっと眠りについたら外は白み始めていた、嗚呼・・・身が細る。・・・こうやって積極的にあの世へ早く旅立つことを考えるのも一つの手かもしれません。革命とは対極にある生き方かもしれません。(真に受けないように!)