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(回答先: 自問自答することから始まるでしょう。 投稿者 如往 日時 2005 年 12 月 12 日 20:27:34)
如住さん、レス有難うございます。手探りの議論しか出来ませんが、宜しくお付き合い下さい。
………以下、如住さんの文章から引用。
“…日本人にとって市民革命の途を探るとは、民定憲法や農地改革等の他者から与えられた答え(戦後民主主義)を問い直すことに等しいでしょう。それはまた、裏口入学で学士になった者の学績が真に評価に値するものかといった疑義にも通じるところがあります。…”
………以上、引用終わり。
裏口入学の例えは、面白いですね。確かに私たち日本人は、敗戦による苦難と困窮とをいつの間にかスルリと通り抜けて、今では先進国の一員であるかのごとき風を装っています。「いや、戦後の日本人は頑張ったんだ。」というような感慨が語られることも多いのですが、“…他者から与えられた答え…”に忠実に努力することと、自ら答えを発見することの間には雲泥の差があることに気付くべきなのでしょう。
如住さんの以下の文章は、その事の例えとして、言い得て妙なりです。
“…裏口入学であっても努力して単位を修得し卒業したのだから他人による謗りを受けることはないとの強弁を表向きには繰り返しても、余程の道義に無頓着で厚顔無恥な性格の持ち主でなければ、内心では学籍の根拠の脆弱性にたいする負い目を引き摺っていくことになるでしょう。…”
しかし実際には、こうした負い目を感じることなく過ごしている日本人が多いようです。それどころか、今日あるのは専ら己の努力の成果であるとの驕りが多く見受けられます。如住さんの言葉を借りるなら“…余程の道義に無頓着で厚顔無恥な性格の持ち主…”というのが現在の日本人の典型的姿ということになるでしょう。小泉のような人間を首相として戴くのもむべなるかなです。
“…この負い目(裏口入学や他者から答えを与えられこと)を人(日本人)は如何に贖うべきかという自問自答が、市民革命の可能性を展望する上でのメイン・テーマに据えられるべきかも知れません。…”
自問自答も何も、負い目すら感じていない日本人には、土台、市民革命などどうでも良い事でしょう。アメリカを信じて歩んだ戦後60年を70年80年、いや100年にもしようと、小泉に声援を送っているというのが現在です。もし、そうした日本人の願望が叶えられるものならば、もちろん、市民革命など不要です。道義や恥と関わりの無い幸福を謳歌すれば良いのです。
従って問題は、アメリカが日本人を幸福にしてくれるのかどうかではないでしょうか。「聖域なき構造改革」が日本を素晴らしい社会にしてくれるのかどうかです。
其の答えを見出すのは簡単です。今現在のアメリカ社会に目を向ければ分かります。近い将来の日本の姿がそこにあります。20世紀アメリカの繁栄と共に成長した中産階級が、今日没落し、見る影もない有様です。アメリカ社会は2極化してしまいました。そして今、日本もそうなりつつあります。
日本社会を指して1億総中流化と言われたのは、それほど昔のことではありません。急速に進む社会の2極化に、果たして日本人が耐えられるのかどうか。一度味わった心地良さを奪われた時、事大主義者の日本人と言えども立ち上がるのではないか?民主主義社会は、基本的に、平準化された社会階層の存在を必要としています。かつて棚ボタ式に実現した平準化された社会を、改めて意識的に追い求める時、市民革命の必要が生じるのではないでしょうか。
言い換えれば、厳しい現実に直面することで否応無く意識の変化が生じるのではないかということです。
ついでに言えば、小泉という男は、そうしたところへ日本人を導いて行く役目を背負っているのかも知れません。どんな奴にも使い道はあるということでしょう。