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(回答先: “有効な働きをする”通貨を手に入れる為に。 投稿者 張良 日時 2005 年 12 月 04 日 02:30:37)
張良さん返信ありがとうございます。
小生今日からしばらくの間入院手術ということが決まっておりますので。返信は何せ暇になりますので病院の中で考えておきます。
ただ私の考えるのは、普遍的な意味が多く貨幣が発明されたことによって現在の文明がある。
人間の社会において私なりに二大発明があったと考えています。一つは栽培植物の発見から、植物栽培という方法を発明した(農耕)ともう一つは物々交換に替わる貨幣を発明したことが人間社会の二大発明だと現在考えています。このことを細かく書きますとここでは書き込めないぐらいの量になりますので控えさせていただきますが。またこれらのことは議論するものではなく、やはり本にするべきだと考えますが。
なぜなら、歴史を貫いた普遍的貨幣の見方と、現在社会における誤った使い方による本来の貨幣の持つ(二大発明の内の一つ)意味をぶっつけてもなんら回答は得られないものと考えます。
私なりに近代経済学とは、近代という一時期の経済を分析(資本主義的擁護)しただけであり、人間としての経済を語っているのではないと確信しております。そこから図らずも「近代経済学」とは近代だけの経済学と名づけたのではないですか。
経済学は狩猟採集経済という言葉もあり、さまざまなその時代時代の経済論があり。本来は全てを含めた「人間の経済」を語らなければならないのでは無いでしょうか。
私としてはそのことを書くということに現在専念しているわけです。
私には近代経済学という一時期の経済学はむしろ勉強の邪魔になると考えています。なぜなら近代経済学をいくらこね回しても未来への展望は「藩札」に見るように最後は破綻する経済ではないかと感じています。どこに原因があるのか。また貨幣を発行する魅力、現在の政府もその魔の手に引っかかったわけです。
それから藩札の中にも兌換があった藩札もあったわけです。また幕府が兌換を禁じた藩札もあったわけです。なぜ禁じたのか。そこに貨幣発行を握っている者の貨幣の魔性に取り付かれた権力者の末路も見えるわけです。
貨幣とはそういう物です。