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(回答先: ありがとうございます。普通の感覚の持ち主は帳良さんだけでしたか。 投稿者 ジャン 日時 2005 年 11 月 27 日 09:18:11)
近頃、議論版が低調な感じです。それでつい、本文なしのレスを付けてしまいました。暴論でも愚論でもどちらでも構わなかったのですが。
で、そもそもの地方分権と民営化ですが、この事態はグローバル化という流れの中で考えるべきだと思っております。グローバル化に伴うリストラが、民間部門から公共部門に及んできたわけです。だから、分権だの自治だのというのは体のいい口実だと思います。民営化も、要するに低賃金労働への移行を耳ざわり良く表現しただけです。それが事の本質であり、原動力だということです。
教育論から出てきた改革でもなく、社会保障制度の工夫から出発した議論でもないあれこれにいちいち付き合うことは、徒労と言えるでしょう。従って議論の方向は、日本社会全体のリストラに如何対処するのかではないでしょうか。
そうした角度から、地方分権や民営化を捉えなおした時、事柄の様相は一変します。分権という口実は、これを民主主義の前進に生かすことが出来ないか。民営化は、行政への市民参加を進めるチャンスにはならないか。です。
どのみち、国は本気で分権を進める気はないのです。自らの責任放棄だけが関心事です。民営化といっても、何をどうするのかというノウハウも何もありません。自治体に対する責任ある指導を行う気配さへ無い状態です。地方への財政的皺寄せを意図しているに過ぎません。
こうした、国の投げやりで成り行き任せの姿勢は、これまでの官僚政治が破綻しつつある兆候とは言えないでしょうか。実際、英米流の行政に於いては、官僚に決定権はありません。グローバル化を志向することは、官僚にとっては破滅を意味すると思われます。破滅しかかっている官僚機構は、後ろ向きの利権確保だけに熱心です。
小泉流の聖域なき構造改革によって、日本の官僚機構は壊滅的状態に陥るのではないかと思います。そこまで行かないとしても、もはや、官僚に事態をコントロールする力は残らないのではないでしょうか。やや先走りした議論になってしまいましたが、政治の流れはそちらに向っていると思います。
だとすれば、官僚政治の後にどんな政治を実現するのかが問題です。誰が、公共部門を担い動かすのか。これまで、官僚政治と庶民の私生活主義は相互補完的でした。公共のことは役所に任せて置けば良い。お上のことに口を出しても仕方がない。自分達に責任はない。これが、政治に対する庶民の姿勢ではなかったでしょうか。そのことと官僚政治はうまく両立して来たのです。
今や日本国民は、公共というものを自ら担うべき段階に来ていると思います。私生活主義への埋没が何をもたらすのかを真剣に考える時に来ているのだと思います。