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(回答先: Re: 菊と刀の弁証法 投稿者 yu-min-yu 日時 2005 年 11 月 04 日 23:52:51)
>作者は-yu の投稿先のowner だったのです。
それは驚くべき偶然ですね。
これもやっぱり、小生の得意とする「シンクロニシティ」でしょうか?(笑)
今井さんの著述を紹介するにあたり、部分的に赤字で表現してしまったのは軽率でした。
この論文のコンテキスト、及び主張をダイバートさせてしまう危険性があるからです。
それを作為した訳ではないので、機会があったらデラシネが謝っていたとお伝えください。
>何を根拠にこの文を紹介されたのか、ほぼ察しはついている積りですが
たぶんyu-min-yuさんのことですから、そのお察しは正しいでしょう。
だがあともう一つ、何故小生が数ある論文の中からこの今井さんの論文を選んだのかという理由を明確にする必要性が生じてしまいました。
それは論文を拝借した今井さんに対する礼儀であり、「敬意」を表する意味でもあります。
図らずもyu-min-yuさんを介し、小生と今井さんとに「一期一会」が生じたからです。
まず最初に、小生はこの論文のタイトルに惹かれました。
そして次に、この論文は冒頭において「アドルノの否定的弁証法の論理を借用して」と明示され、そしてその弁証法に則り論理が展開されているという稀有にして秀逸なものだからです。
小生は哲学を専門とする人間ではないのですが、こういった言語による「論理展開」をする際には、弁証法というものが如何に大切であるかという認識だけはあるつもりです。
じっさい「社会病理についての考察」であるとか、また「日本人論」といった抽象的な論理を展開しようとする論文において、その論理の文法たる弁証法まで明示して書き出された作品というものに、小生はついぞお目にかかったことがありません。
自らにおける論理展開の枠組みを、どういった弁証法に則り構築してゆくかという「設計図」を念頭におき、その設計図どおりに建設された論文という、いわばピアノにおける「バイエル」みたいな論文だなというところで感動したのです。
これは哲学についてはドシロートの小生が勝手に感動しているだけで、ホントはあたりまえのことなのかもしれません。
でも、文章による論理展開も、音楽における楽譜と同じようなものなのだなということを改めて小生に気づかせてくれた今井さんのこの論文には、感謝の言葉もありません。
とまあ、小難しいことを言ってしまいました。(^^;
実はここ数日、アドルノに凝っておりまして、本日は雑談板にこんな投稿を致しました。
http://asyura2.com/0510/idletalk15/msg/523.html
小生は自らの「パラダイム固着」を避けるため、自分の思考に柵を設けておりません。
それでふだんの投稿が、さながら読んでくれる人にとっては「謎解き」みたいに写るのではないかと心配しております。
まあ投稿活動じたいが他人のためではなく「自分の気づきのため」なので、意味がわかんなかったら気にせんで下さい。(爆)
今後もyu-min-yuさんのご投稿にチャチャ入れることもあるとは思いますが、決して深刻に考えないでくださいね。(^^;
今井さんによろしく。
今後とも、よろしくお願いします。