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(回答先: その通りではあるのですが・・。 投稿者 デラシネ 日時 2005 年 11 月 04 日 09:50:12)
デラシネさん どうもです。
【基本的に我々が認識しておかなければならないことは、「人は社会的要請とは無縁に、堂々と自由に生きていく権利がある」ということだと思います。つまり、「社会的要請を満たしていない」生き方をしている人々に、暗黙のプレッシャーや罪悪感を与えるような社会風潮こそを改めなくてはならないということです。】
究極の個人自由主義という意味合いでは「それが許されるなら、一種の理想論」でしょう。
しかし、誰も「農業をしなくなったら」社会は滅びます。
人の数が少なくて、農業などしなくても「狩猟だけで済むならば」自分の分の食事だけ確保して「後は自由」でも良いかもしれませんが、現在の社会に「生きる権利を許される」には「一定の社会貢献は義務」とも考えなければいけないでしょう。
相対的に見れば「義務を果たしている人」が「義務を果たさない人を非難するの当然ですし、その権利があります。」
「義務を果たさない自由」も法に反さないならばセーフという主張は一定の理屈を持ちますが「それならば、社会からはなれ、どこかに隠棲しなければなりません。」
それをせず、社会の保護の下で暮らすならば「法に触れない上での、他人からの白い目と非難の声からは逃れる事はできません」
確かに「自由で奔放な生き方」は「悪」ではないかもしれません。
しかし、それは絶対基準での考え方であり、富の公平分配の妨げになるならば「妨げられた被害者にとっては」あきらかに「悪」であるのです。それが相対的な基準です。
ですから、デラシネさんの考えは間違っています。