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(回答先: 論説における前提条件の普遍妥当性を確認することの重要性 投稿者 乃依 日時 2005 年 11 月 04 日 00:33:41)
>乃依さん どうもです。
【論説における前提条件の普遍妥当性を確認することの重要性】
という事にはそれなりの正当性は認めたいと思います。確かに本格的議論などにおいては「それは重要」です。しかし、問題提起の段階では「あまり形式を重視するのは、問題提起自体の入り口の封鎖」にも繋がるでしょう。
【いままでに目にかけた論説の中で前提条件の普遍妥当性が欠けていた例を挙げると、ニートが悪い、働かないものが悪い、働かずマネーゲームで生きるものが悪い・・・】
Kはすべてのニートは「悪」とは考えていません。しかし「ニートは社会構造を破壊するので、迷惑な存在なので少なくすべきだ」と考えています。ですから「ニートの増殖を促すような思想は悪」だとおもっています。ニートにも色々ありまして「自発的遊び人・マネーゲーマー予備軍」になると「悪」ではないかと思います。
マネーゲーマーと言うのは「生産行為を行わない、存在しなくても良いような存在」だと思っています。しかし、「人に楽しみと夢を与える」という一種の娯楽提供者でもあるでしょう。ですから「人並みの報酬で強制的勧誘などをしなければ、居ても良い」かな、とも思いますが、人類に必要な物を何も生み出さず、汗水とも無縁なのだとしたら「人より高い収入を得た段階で悪(庶民にとっては害虫にような存在)」ではないかと考えています。
害虫は「悪」ではない。という考え方があります。それは相対的なものです。人間に害を為すなら「人間にとっては悪」になります。逆にいえば「害虫にとっては人間のほうが悪」となるでしょう。これ以上は哲学になってしまうのでやめておきます。
ニートには被害者という面もあり、自主的という面もありますので一概には言えませんが、減らす方向で考察することは当然だと考えます。
それを、このような形で皮肉のように問題提起を行い、しかも、質問に対する回答には何ら評価をしないのは「悪」ではないかと感じています。