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(回答先: 信仰的思考の上っ面の雑感ですね。 投稿者 BBマーク 日時 2005 年 10 月 30 日 15:48:46)
>俺はたけ(tk)さんが、これを読む限りでは仏教的思考に冒されているとのではないかと思っております。いや、仏教的思考ではなく、信仰的(宗教的)思考でした。
>『ブッダも「これは苦しみである。これは苦しみの原因である」と唱えよと言っている。』
>『「南無阿弥陀仏(阿弥陀さん、頼んまっせ)」と唱えればOKなのだそうです。』
>『それはよろしくない。ちゃんとした仏教の本でも読みましょう。』
>なんかは、まさしく、そう。
ふむ、なかなか鋭いが、ちょっと違う。信仰的思考には近いが、たけ(tk)はヒトの言ったコトバなど信じない。
ただし、「自己」(《知りつつあるモノ》)のまわりには「物理的な世界や身体がある」と信じています。
「信じる」というのは「疑えば疑うことができるし、その存在を否定することもできるが、信じる」ということです。
* 『「南無阿弥陀仏(阿弥陀さん、頼んまっせ)」と唱えればOKなのだそうです。』というのは、「そう信じようと思えば信じることができる」という程度です。
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>そして、なぜ俺が科学的思考に冒されているのかの、説明にもなっていません。
>「なぜ?」と問うのは哲学にも禅にも見られますが。
「なぜ?」と問うのは哲学にも禅にも見られますが、科学は答えない。哲学の思考や禅の思考を学べばその答えへの糸口を見つけることはできるだろうが、科学の思考のままでは入り口さえ見つからない。ということです。
* 科学の思考は「存在」のみを対象とする思考方法であり、哲学や禅は「当為」も視野に入れた思考方法だ、という違いです。
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>「楽しくない状況」という外部的な原因を徹底的に認識するなら、「楽しい状況」というのも、外部的な原因を徹底的に認識することはしないのですか?
「楽しい状況」が存在し、それが「自己にとっての楽しさ」に繋がるのであれば、それもよし。
>パンドラの箱から楽しくない原因をすべて放り投げるなら、希望や「楽しい状況」も全て放り投げますよ、俺は。盲目的には、“生きよう”としてはいないんでね。
それでよい。放り投げることができる「楽しい状況」や希望は放り投げてしまうのがよい。自己のまわりの状況を冷徹に見通して、放り投げられるモノは全部放り投げてしまうことが必要。
希望というのは、全部を放り投げてしまったのちの《状況そのもの》の中に見いだすべきモノ。もう少し正確に言うなら、無価値の《状況そのもの》とその状況の中にある「自己」との関係を知ることによって見いだすことができるモノ。
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>また、『これは苦しみである。これは苦しみの原因である』と唱えよと言っている。』って、その言葉自体を唱えることが求められているわけではない
「唱えよ」というのは生活の全部の時間においてその事を意識せよという意味です。
状況のすべてを見通すためには、生活のすべての時間におけるすべての状況を見通すことが必要になります。そのための方法が「唱えよ」です。
>「苦しみ」の原因を見極めて、「苦」を「楽」にしろということでもないと思います。
そのとおり。原因を見極めただけで「苦」が「楽」になるはずがない。原因を見極めた後に、その原因を除去する方法を考えて(滅)、実践すること(道)が必要です。
しかし、原因を除去する方法を考えたり、実践することは、生活の時間において状況に直面している状態で行いうることではない。状況に直面している状態では、それが苦であること(苦)とそれが苦の原因であること(集)を知ることによって、目の曇りを取り去り、後でそれを除去する方法を考えるために記憶しておくことが重要になる。
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>そう、そうしてあなたはひたすら動き回って“生きて”いくことになるでしょう。「これは天命だ!」「次も天命だ!」と叫んで。
私は、そうすべきだと「信じます」。
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>>何故自分が「生きているという確信」を持ちたいのか、その原因を探ってみてはいかがでしょうか?
>>また『生きているという確信』のイメージとはどんなものであるのか、明確にしてみて
>>はいかがでしょうか?
>
>これを書いているあなたはどうなのですか?
ブッダも、飯食って、糞して、寝て、喋っていただけ。たけ(tk)の生活と何のかわりもない。たぶん、BBマークさんの生活とも何のかわりもない。そこに『生きているという確信』のイメージがある。と思っています。
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>原始仏典を読んで「死後の世界や、輪廻転生」が素晴らしいものだと知れ!という意味なのか?「死後の世界や、輪廻転生」からとっとと脱出しろ!という意味なのか?「死後の世界や、輪廻転生」を知って「生きる意味」を見出せ!という意味なのか?
十無記というコトバを調べてください。
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