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(回答先: 参加しないで見ているのは、つらいと思います。 投稿者 NJ 日時 2005 年 10 月 23 日 19:32:05)
上の方のスレッド「生が色褪せてしまった結果ではないでしょうか」に対する反論を含んで、読みづらいです。ごちゃごちゃ、自分の未熟な考えを書き連ねただけで、核心を突いていない気がして、手を入れてみるんですが、キリがありません。未熟なんです。
でも、言いたい事はわかるんですが、なんか、おかしい、不備、といって悪ければ、論の前提になっている事実や状況の違いを飛ばしてしまっていることや、説明のために引き合いに出した、多くは逆説的なはずの事象に図らずも何かしらのプラスの価値を含め、退行と言いたくなるような心象を読後に残す点です。そのため、正面から物事を見ず、本人が望む望まないに関らず論の問題点から目を逸らされてしまっているのではないか。問題解決という点からは、AとBの相違点と共通点を明確にしていかなければ、妥当な答えは得られないと思います。感情的な問題を優先すれば解決することでなければ、正確さに欠ける観察から未解決の問題の答えは得られない、と思います。順次、なんか、スッキリしないところを、なぜスッキリしないと感じているか書いてみます。
今、問題にしているのは、香田さんの死にざまではなく、60代以後、つまり、敗戦後を生き抜いた、または、高度経済成長期を駆け上がった人たちの死に行く姿であったり、壮年期やりたいことのまだ一杯ある人の生命をたつ癌だったりするのですよね。
若年者の自殺に近いような死や事故のような死は、これとは別、かなり特殊なものとして、分けて考えた方がいいと思います。
いま終末期医療を受ける方たちは、戦中戦後の激動を生きた、先人たちです。物心ついたときからいろんなものがあった我々の世代と違います。その彼らの死であるはずなのに、平成に思春期を迎えた現代の若者の死に象徴できるかのような書かれ方には、文意が通りません。むしろ、同等に論じられるかのように誤解した、または、自らの主張とは相容れないことを言っていることになるのを看過してしまったということ自体が、素晴らしい生を生きたかどうかと関りなく、無機質な死を迎える(そうとばかりはいえないですが)という現代の終末期医療(ターミナルケアとは書きません。)が、人の共感や普通に理解できる意味性を失っている姿を映す、と言えるんでしょうか。
自分の生きた中で、社会的地位などを築くことがなくても、正義を体現したと自負しておられるから、自分の生は価値のあるものだった、と感じて堂々としておられる方たちも立派ですが、さしたるドラマティックな話もないが、喜怒哀楽、現世のことに一所懸命たゆまず長年尽くしてきた人たちも、それはそれで評価して欲しい。子供を一人前にするのに必死だったおばあちゃんの人生も、色褪せたものなどではなかったはずだ。みんなが皆、英雄になれるはずもない。特殊なケースにばかり、目をやっても、今、日本で死んでいく多くの人のことを解決することに繋がらない。自分をしっかり持っている人は、ほっといてもいいのだ。(死が遠いあいだは、気丈でも、死が間近に迫ると弱くなるひとは多いですが。)問題は、死をまえにして、悶え苦しむ多くの凡夫である。かれらを、どう支援していくかが問題なんです。
次に、身内の方の死に触れた個所ですが、これを理想としてはいけない背景を描いていません。
そして後半、私の読み方に不備があったのだろうか、と思って読み直すほど、言葉で遊んでいる感じがして、どうも好きになれないところもあります。
たとえば、そこに意識を失って閉じた目、口を大きく開いて機械的に上下を繰り返す胸、点滴を抜こうとするため、包帯でベッド柵にゆわえられた手首、胸郭のありありとわかる肋骨のうえには赤や黄色の磁石が貼ってあります。横に立ってじっと見ていても、10分たっても、姿勢が変わらない。声を掛けても、反応がありません。これがあの人だろうか、と思うほど表情が失われて、別人のようです。高齢者で死の間際ICUに入ったならば、このような姿をしているでしょう。家族の方には辛い、でしょうね。しかし、このような一種の儀礼を目の当たりにすることで、家族も、避け得べからざる事として、身内の死を受け入れていくことが出来るようになる面もあるかもしれません。平素は浮ついた直ぐ消える考えや間違った観念やあやふやな思考に踊らされた表情に隠されてはっきり見えなかった、生物としての普遍性や残存する生きようとする力が露になって、私は必ずしも、生命の尊厳がない姿とは思わないのですが。平凡と言っていい人がいたとしても、彼ら一人一人に秘めた物語が一杯あるでしょう。それは、いろいろな社会性が失われていって、意識も失った彼らの姿に、たち現れることを期待する必要はないようにも、思うのです。言いたいのは、このような姿をしているからといって、彼らの生が希薄なものだったわけでもなんでもない、と言う当たり前のことです。老衰のようなかたちであれば、このあと、暫くして、亡くなります。
彼の生きた様子は、彼を巡る生きた人間たちの方に、よりよく現れます。
段階的に来る死で、このようにご本人にとっては、苦しくない、物事がはっきりと認識できない状態に至ることは必要ではないか、と思います。(直前まで意識がハッキリしていたのでは、怖くて仕方がないだろう。)ここで、混乱した書き方をされています、彼らの死が、まだ、生きることを始める前の、若年者の夢想する死と、相関して語られるのは、ただ、不注意に基づくのでしょう。
彼らの多くが望むのはどんな死に方でしょう。今よりは皆貧しかった中で子供を育て、その人なりに生きた、証のなかにー多くは家族の見守る中で死にたい、ということでしょうか。私自身は直接訊いたことがないので、想像ですが。彼らなりの一生懸命さで生きてきた。どんな、市井の片隅にでも、命の営みは、ある。往診に行ってて思います。(アル中みたいな例外はありますが。それこそ、アルコールの飲みすぎで朝になったらコロっと死んでた、という、アンタ本望だろ、というような死に方をされる方も時々居ります。アルコールを飲み続けたら、肝硬変になって死ぬよ、と言い続けててもやめなかった患者の家族が、死後、酒を止めさせなかった医者が悪いといって、主治医を訴えたというような、本人が本人なら、家族も家族だ!というような事例もあります。それでも、この人たちを、最後まで、守らなきゃ、と思っております。)
今どんどん亡くなっていかれる先人方が築き上げた社会に於ける死は、彼らの親の世代の死にざまとは随分違ってしまった。予想しない(病気になると「初めてのことで、」とよく患者さんは仰います。当たり前なんですが。)ようなシーンに出くわしたり、立会わざるを得なくなった。その、戸惑いと、自分の身に降りかかってくると想像するときの漠然とした恐れ、が病院で死にたくない、と仰る原点ではあるでしょう。ICU、ずらりとベッドが並んで夜も蛍光灯が晧々とついた監視しやすい部屋、意識無く横たわる体の硬直した高齢者、心電図の音、人工呼吸器が機械的に閉じたり開いたりする音、沢山のチューブ、緑色に光るいろいろ訳の分からん数字、、、、医療従事者には使い慣れ頼りになる機器類も、一般のひとには、冷たく拒絶する景色でしかないかもしれません。
しかし、それが、豊かになった社会、貧富を問わず、だれでも医療をほぼ平等に受けることのできる制度を背景にしていることを抜かすわけにはいきません。病院に入院できるのは一分のお金持ちだった時代からの、脱皮を果したから考えられえるテーマであって(失礼を承知でいいますが、現代日本の医療情勢と思い出として指し示された情景とはかなり同列に批評できない内容を幾重にも含んでいると想像します。その時代の穏やかな死に、現代が取り戻さなくてはならないことの一つの原型―自分の生をつぎ込んだ家族に看取られること−をみることは出来ると思いますが、そのとおりを繰り返す必要はない。その方にとって、死は休息だったかもしれません。)、お金の心配なく延命(だろうがなんだろうが)を優先できる環境にいて、それを選択肢に入れることさえ出来なかったから、とも言える、迷いのない状態(家庭で死ぬよりなかった)を懐かしんだり羨んだりすることには、賛成できかねます。むしろ、経済事情を最優先にしなくていい、という生存権を保障されながら、いろいろな選択肢を用意した上で、患者と家族がどう死にたいかを主体性をもって決める。それを医療者側に伝えるスキルを我々の社会では求められている。前もって、死ぬ人とその周囲が確認しあっておくか、是々非々で話し合って決めていく。我々の社会ならではの有り方を、柔軟に採っていこうじゃないですか。参加してくださいな、医者の前では物も言えません、なんて言わずに。一緒に行きましょうよ。医者は何時だって患者さんが一番大事なんですから。ここをはっきりわかってくれないと、今のように、医療へのアプローチに経済力による格差をつけようとする政府の手の内に、捕らえられてしまいます。それには断固反対しなければなりません。日本の医療は現時点では、世界に誇れる高品位、低価格なものです。(郵政ではないですが)医療(終末医療はそんなに高度とは言えないかと。)を理解して、どういう目的のためにこの侵襲を加えるのかを、患者さん側も理解していただけたら。理解した上で、自分の方針を医師と相談してでもいいですから、決められるようになるといい、と思います。普段縁遠い、と思われる内容でしょうから、主治医の先生によく話をきかれるといいです。質問されるの、ちっともいやじゃないですよう。質問があるなら、もっとすればいい。できるだけ、やさしい平易なことばで、説明しようと、してくれるはずです。
改めて、整理すれば、下記投稿で問われているのは、「いかに、輝いた人生を送った人でも、現状では、終末期には、画一的な、例えば“延命”に象徴されるような医療環境に置かれるかもしれないこと」そして「それは、終末期に特有の、本人が(努力してか、せずかにかかわらず、良いものも、悪いものも)形成してきた人格が崩れることを知っておき、その時どうしたいかを本人及び身近な者達が前もって考えておくべきであること。」医療する側としては、本人が意思を明確にしてくれていれば、むしろあとは、医療関係者がいかに本人が本人らしく最後まで居られるかサポートするための治療選択、として明瞭に打ち出せるのだから、むしろ、やりやすい。ところが実際は、その場になっても、明瞭な意思を示せないというよりも、本人が衰弱していると自分の方向性を打ち出すにも打ち出せないことが多いのが問題だ、ということでしょうか。どれだけの長さ、生きられるか、はっきりとは言えないんですから、その時、精一杯するだろうし。生かそうとしても、多臓器不全になれば、だめだし。
現代日本では、平均寿命が80歳前後と、“そのとき”には、患者さんから往年の判断力が失われています。昔の60歳をすぎから急速に衰弱して比較的思考も明晰な内に死を迎えた時代の死に方と一括りに、比較できません。
そこで、実際には「崩壊する個人に代わって、患者を取り巻く人々の患者および患者の医療環境を如何なるものにしようとするか、そのアプローチの仕方」がクローズアップされたりしてしまう、ということでしょう?ここには、生き続ける人間の虚栄や立場が絡んでどろどろしますが、悪い面が現場へ侵入するのを食い止めるには、患者さんが元気なとき(またははっきりしている内に)、どれほど、自分の意志を打ち出し、周りに伝えていたかという事と、そう違わないでしょう。今の日本で、自分の死に方を遺言しておられる方はそうはいらっしゃらないです。過去にいかに輝いた生を生きたか、は個人の気構えになっても、それだけでは、体が弱り、大脳の働きも衰えてきた時に、どれほどの支えになるでしょうか。
死ぬ本人がどうしたいか、が最重要なのは、本人が上で言う、輝いているときに不条理にも死が訪れてしまった場合でしょうが、これは、本人に、気力があれば、意思を通すことができますから、余り、こちらがとやかく言うことはありません。ただし、ガンジーの例は似て非なるもので、他の誰かのためなら自分の死も利用する、政治目的のためなら死も辞さない、いいかえれば、まだ、現役の社会的価値を持った人が、命がけで訴える、自ら死ぬ為にではなく、他人を生かすためなら死んでもいいという決意ですか、これは病死と別物です。自分で死、生もコントロールしている状態です。本人もご高齢だし、自分の死で一石を投じられるなら、死に場所を得たり、ではないでしょうか。最初から、目的を持った諌めとして使う死と、今、問題にしている次の世代に居場所を譲って往く死とは、比較できません。後に残された生きる者がそれぞれの死に行なう意味付けが、違うからです。前者は本人が生涯を通じて貫こうとしたことであり、彼の存在意義とその証明なんだから。これで死んでも、彼は悔いないのだろうし、一方で大衆を信頼していないと、出来ないと思う。危なくなったら延命を施すのは、生き死にで皆に語りかけたことを、方法論としても、否定することになるから、信頼してくれている人たちを欺くことでもある。後者の積極的意味は、身を持って、若い人たちに死を(どんな形でもいい、それは命に違いないのです、本当は。死は結構平等かもしれません。)見せること、人を介護してありがとうといわれるチャンスを与えること、、でしょうか、、、。他にも、何か、思いつかれますか?意識レベルの低下した病死を目前に控えた方に、ガンジーのような自ら引き寄せた死ではないのに、死を受け入れる器量があることを求めるのは暴論のような。なかなか、受け入れられなくて当然と思います。そんな姿だって、別にいいじゃないですか。日本では、結構年をとられて亡くなりますので、そのときに、じたばたする方をお見かけしたことは余りありません。皆さん、その前に、「はよ、お迎え来てくれヘンかと思うけど、なかなか来てくれへん。」ぐらいに、仰ってます。
若いときにには、生きることは、如何に死ぬかと同義である、そんなことは分りきっているんです。みんな、20過ぎたら、自分がどう死にたいか、考えなかったですか?ただ、若いとき、考える自分の死は、だから、どう生きねばならないか、に集中して、今となってみると、考えた死は死のそものの具体性に欠けていたようです。死が近くなって病院に行くようになるまでに、やりたいことやっとけば、別に怖くないかな、程度に思っていた、ということです。具体的に考えてないなあ。考えることを回避するための方便かもしれない。例えば、どの疾患で死ぬだろう、自分だけ例外と言うのはないから、循環器疾患か、悪性疾患。その前に、両親の死がある。心カテを受けた親なので、この15年、事あるごとに今日かもしれない、と思い続けてきたけど乗りきった。そんなに、単純な死は来なくて、やっぱり、患者さんたちのように、長いこと、入退院を繰り返すんだろうか。自分はどうだろうか。−この程度では、自分の死はまだまだ遠いんだと思います。頭で考えたり口で言うほど肝は据わってないだろうと思います。ほんとに近くなったら、みな口を閉ざすといいます。現代と、一昔前の死の事情の違いは、治療により命を永らえることが出来るようになったため、昔だったら一瞬で済んでしまった闘病がスローモーションで引き伸ばされたように長くなり、日常的生と完全な無になる死との間の非日常の異空間を主体側が具体的にどうクリアするか、問われるようになった、ことですか。
死の恐怖の克服といった抽象だけで、死が語れなくなったことに、過去の死の風景と一番の断絶があるのではないでしょうか。例えばそれは、点滴のチューブだったり、人工呼吸器のゴムボールの蛇腹の膨らみだったり、脱毛や白血球数の減少による隔離だったり、するわけでしょう?だからといって、後ろへ帰るわけにも行かない。避けるわけにもいかない。乗り越えなきゃしょうがない。死の前に通過儀礼のごとく存在するが老人には辛いこと、それら一つ一つにどう対処するか、どう味方にするか、が大事ですよね。本人のいろいろな喪失が傍目にも明らかになってからの死ですから、それを見取る家族がその死とどう対したいか、も含めて、本人家族だけで背負うのが辛い、ところは医療スタッフの力や話を活用する、スタンスがいいのでしょうね。
介護される方は、生きてる意味がないお荷物なのではなく、介護して家族が心の充足を得ることができるために、生きる意味があるのだと思います。ありがとう、を言うために、存在する、と言い換えてもいいです。かく執が有ったって、人の体に触れ、痛みや悲しみを直に感じれば、融けるかもしれません。ただし、身勝手かもしれませんが、あまりに長いのは、一部の例外を除いてダメダと思う。介護疲れ、とよく言いますもん。一人で背負おうとすると、特に痴呆があったりすると、耐え難くなります。優しかったお母さんがなぜ?!、となれば成るほど、「ダメじゃないですか!」ときつく当たってしまったり、逆に精神疾患のお母さんに振り回されて、めちゃめちゃになってる娘さんが居たりします。家庭だけで、というのは、反って良くないと思います。人間、そう簡単に死ねないんですもの。突然死で苦しみなく他界された方のラッキーが、万人に起こるわけもなく、このような例外を取り上げても、なんの解決にもなりません。脳梗塞かな?と思うのですが、同じ疾患でも、半身不随になって努力して立てるようになるためにだけ生きている人のほうが、ずっと多いんですから、その生き残ってがんばっている彼らに対して、こんな話は慰めにもなりません。話さなければならないのは、死ぬ際、医療の対象に成らなかった方達の話ではなく、医療と真剣に向き合う選択をした人や、家族の意向で、生かされ続ける方に、どのような医療を提供すべきであるか、だけです。なんといっても、生きる力がある間は、(頑張って)生きて欲しいです。その笑顔は、介護する人をとっても元気にするんですから。
ここでも、町医者さんは、出来た方ですから、取り立てて仰らないですが、病気で弱くなった個人が主体性のある態度で病気に臨めないことが、問題を複雑にしている、ということと、逆に「死生観がはっきりしているかどうか」を問題にするということは、誰に要求がなされているかという点では、いっしょです。つまり、医療をうける側の問題です。「いざとなったら、どうして欲しいか、はっきりしてくれ」と。(そのまえに、家で面倒もみれないが、死は近くないが、大腿や膝、腰椎の変形、血圧、痴呆、糖尿、脳梗塞などあって、自立できない、通院にもできない、そのような方を、どうして差し上げたらいいのか、ということも、ありますね。一しんさんの仰ってるのは、こちらの方々ではないでしょうか。)その方が、楽になるんですけどね。実際はそうじゃない。しかし、患者さんも、一人で決めるのは苦しいでしょう。だから、説明を聞いて、お医者さんと一緒に考えていけばいいのに、と思うんですが。それでも、追い詰められると、弱くなるのは、人間のサガで、できる限りのことを、お願いします、とか、言っちゃうのかなあ。求められれば、応えたい、というのが、医者ですから、出来る限りのことをしちゃったりするわけです。余命何ヶ月です、と言いながら治療を続ける医者に、患者さんは、ほんとは、「何で助けてくれないんだよう!」と言いたいのかなあ。そうばかりでもないような、気もするんですが。
次の段階として、普通の風景と違ってくれば違ってくるほど生じる異様さ、がどうしても人々の注意を引いてしまう。高度医療(ばかりではありませんが)になればなるほど、普通の人の感覚と医療人の感覚のギャップが顕著になるでしょう?死に行く人に医療を遂行するには必要な冷静さが、普通の感覚では受け入れられないほどに、理解不能になるのかもしれません。良くなる、と期待して受ける治療のときは、予め予想されるマイナスな事を充分、説明しておくと、それが起こったときも、受け入れてもらい易いです。必ずしも、悪い結果に繋がるものでないことでも、言ってあっても、必ず、訊かれます。心配なんだろう、と思います。よく分って乗ってきてくれて、一緒に治療してる感じになると、やってても嬉しいんです。ただし、お年よりは、悪い状態を説明するときが難しいです。暫く待ってくれれば、良い方に好転する、その後で、これこれの事をしましょう、と説明していても、どっか行っちゃったりされて、寂しい思いをします。私は比較的元気な方を普段対象にしてますので、延命治療のことじゃありません。延命でも、一緒に治療してる関係が構築できる方が、いいと思いますが、良くなる見込みを語れないときに、これこれの治療を受けてくれ、と言って、協力を得るのは、難しいでしょうね。
死ぬことが決まっているならば、普通(普遍的)、が必ずしも価値を持たないことではないでしょうから、どこかで、線を引いてもいい、と思うのですが、それには、医療の受け手側の明確な意思表示が不可欠です。それも、感情論ではなく、医者の説明するメリット、デメリットを分かっての判断が。「わたしら、わからんから、一番いい様にしてください、」という人の如何に多いことか。ていうか、これ以上やさしく説明をしようがない、と自分では思うほど、分りやすく繰り返し具体的に話したつもりでも、これを最後に言われてしまう。ガクっときます。医療ってそんなに難しいことないと思ってるんですが。すこぶる現実的で結構単純だったりするんですが。今の話、難しくなかったでしょう?といわなきゃならんかったりする。(もしかしたら、この言葉は、患者さんにしたら、最大限の医者側への謙譲と尊重の表現かもしれない、ことば通りの意味にとってしまってました。)さすがにお年を召した方には、こんなことでも難しいかも、と思うこともあります。生きることを前提にした治療や、生きるための治療なら、お任せは悪い選択じゃない、と思いますが、今話している対象は、死ぬことが前提の治療だからこそ、例外的に患者の希望が優先されていい、ということだと思います。(回復して生きられる病状なのに、このやり方では、死んでしまうという手段を患者が選んだら、医療を行う側としては、肯定できない。)だから、何でも質問があれば訊かれて、話をよく聞いて、理解して、決めていかれたらいいと思います。
香田さんの件ですが、人生を初めてないんですから、ある種空虚なのは当たり前です。自分を必要とする関係性の中に、まだ無い、ということです。(ただし、わたしは、香田さんを無気力な青年と推論する気になれません。だって、無気力だったら、人が行かないイラクにいろんな手続きの手間を敢えて執って、チャレンジしますか?変ですよ。自分への評価、と言う点で虚無的なところがあったかもしれない、とは思いますが、、、。)
背水の陣を敷くなら、戦場に行かなくったって、日本でも、生き生きした日常は味わえます。行政等のサービスが整った社会であることから必然的に、生きている実感が味わい難い社会になる、と短絡して受け止めてしまうのは、間違っていると思います。ただし、それが、生き死にを見えにくくしている、ということを無論否定はしません。社会参加とは、自分が生きることでしょう?どこにも、所属していないから、不安定なんだけど、それが若い人の特権でしょう?許される間に、グダグダすればいいじゃないですか、海外でも、どこでも行って。若い人の社会参加の始まりの遅い早いは、個人差として認めたら、そこに変な事実に根拠を持たない空想を足さない。
人がどうなろうと、とりあえず私は生きたい(精神的な意味で。死んだようにではなく、といういみ)、という業のようなものを、若い人はもってるんじゃないでしょうか。それを満たしたくて彷徨う人もあるでしょう。そういう彼らは、日本に帰って来る時期がきたら、帰ってくるだろう。そのあとは、日本だからできない、とは彼らは言わない、と思う。その足で足掻く力をつけて帰って来るんじゃないでしょうか。
足掻き方としては、、、何にもリスクを採らずに、手に入るわけが無い。頭がゴタゴタ煩かったら、しのごの言ってられないぐらい、時間的にも、経済的にも余裕の無い立場に、自分を置いてみれば、いいじゃないですか。要らん事考える暇がなくなって、いいです。平和でも出来ます。
傭兵的生き方に反論するのは、戦後に生まれ育った世代の義務じゃないかと、思います。命のやり取りをしたら、生命維持の本能から、感覚をフルに使う必要がでてくるし、退屈しないに決まってるじゃないですか。そうじゃないところで、自分に全責任が掛かってくるような立場に身を置こうと思ったら、ある程度、努力しないといけない(でしょう?)。社会に目を背けたくなることが多すぎる、ってそんなこと、今に始まったことじゃないでしょうに。
私の10代も、ご多分に漏れず、生きている実感のないことが、頭から離れないような悲惨なもんでした。ここに書いてあることは、10代、20代前半でそれなりに通過することでしょう?返りたくないですね、10代は特に。自ら進んで、ドブに顔を突っ込んでいるようだと、自分が見えたときから、変えました。どこにいったって、見えないだけで、太陽はある。月が雲に隠れても、月が無くなる訳じゃなし。明るいところをみましょうよ。
で、生きればいいんですよ。無理やりにでも。生きる場所を得るために。走らなきゃ、走り方わからないし。後ろから、火つけてやるといいんだ。イヤでも走るから。走ってる内に走る楽しさには気がつくと思う。とくに、いい子にしてて、生きる実感が無い、なんてほざく(わたしみたいな)子供は。
特に、自分の命を献上することと引き換えに得られるスリル、こんなもの、生の輝きだと言っていいんですか。カミソリの刃の上を歩くような行為にゾクゾクするっていうことにずぎない。それでも気になるのは、ここでも引き合いに出される命です。じかに命を差し出さなくても、ぼんやりしてたら、自分の身に危険が降りかかってきたり、一瞬の判断ミスが大失敗につながる、というようなことを、今の日本で味わいたいんでしょう?それには、単純労働ではなく社会的責任を分担できるよう、がんばらねば。日本は戦争、または、殺し合いを放棄したんだから。言うに事欠いて、安っぽすぎます。傭兵になって、日本から戦場に逃げ込んだ人を引き合いに出すなんて、間違ってます。日本が平和で豊かになったことが悪いわけでもなんでもない。日本の平和を否定しかねないこのような意見は慎重に言うべきです。命に触れることが出来た、と実感できるために、戦場を選ばねばならなかった、というような不幸なことは、普段の日本の生活を丁寧に生きられなかったからでしょうか。より強い刺激のある方に行ってしまったのかもしれません。この手の話がクローズアップされるとき、危険を求める、と言う行為の全体像に敢えて目をつぶって、言っている本人は、日本の物事の陰の部分も、見落とさないようにしよう、と言っているに過ぎないのに、良さを凌駕するほどの、または、弊害を克服する為には“良さ”も捨てなければならないような、近代化をなべて否定するような読まれ方をしてしまう危険の方が、心配です。危険が身近にないよう、法と制度を整備された日本で得にくいことと同義であるかのように、その、整備されたインフラ等の責任に還元されてはいけない、と思います。失うのは、簡単でしょうから。むしろ、それらの社会的資産を活用して、生きる道を見つけないのか。憲法などの財産とともに、我々がどう運用するか、を問われているのかもしれません。同じように、この世界に誇れるレベルの高い日本の医療を、失ってから、懐かしむようなことは、避けてください。虎視眈々と権力層から狙われており、すでに守らねばならない対象です。
死を身近にかんじたいのなら、そして日本に住む人殆どが甘受できるであろう、「命に触れられること」をいま、私の少ない知識から選ぶなら、発展途上国でのボランティアです。インド、カンボジアやタイ北部、アフガニスタンなどでは、子供が下痢などという日本では死ぬ必要のない病気で、あっけなく命を落としていきます。ありきたりな死がそこここに転がって、よく見えるでしょう。エイズの施設や、一般の短期滞在ボランティアを受け入れている施設に立ち寄ってみてください。日本では病気を持っていても3年10年と生きられる高齢者も、(そもそも平均寿命が酷いところでは50歳とか、60歳とかで、日本で言う意味の高齢者そのものが少ないわけですが、)インドでは、もっと早く、路上で亡くなります。それこそ、日本で隠されて、時に垣間見るだけでは時間の縮尺が長すぎて全体を把握するのが難しいようになっている生死が、短期間に目の前であっという間に展開されます。そういう分りやすさを、日本で得られないのは、みんなが頑張ったからです。お父さんが頑張って働き税金を納め、市の保健所の職員(これは近年、猛烈なスピードでインフラ、人員数とも削減されています!)が市町村隈なく配され、病院ができ、医療スタッフが教育され、予算が配分され、生活保護や健康保険の制度(自民党が選挙に負けそうになったとき、国民の支持を得るため、野党の推進する社会保障制度を取り入れたのであって、権力が好き好んで、中低所得者の権利を守ろうと努めた結果ではない。)が生まれ、新生児死亡率は世界一低く、長寿だって世界一を達成した。これらは、先人が何十年もかけて築いてきたものです。
日本で、「何で私は生きているんだろう、私が生きていることに何の価値があるんだろう」という精神状態に陥ったら、そのままの自分を持って、途上国に入ってみたらいい。自分の命を生き長らえさせるためだけでも、全神経を動員しなきゃならなくなる可能性大ではないですか。それで帰ってきたら(下痢して帰ってくるかもしれんけど)、システムに生かしてもらってるだけの人から、何か他のものに、脱皮できないかなあ。当たり前に備わっている義務教育程度の知識だけでも、ここで使ったら、十分感謝されるはずです。こんなわたしでも、人から感謝される、と体験したら、変わると思います。人間、感謝されなきゃ自分の存在価値を実感できないんだと思います。欧米からの視線ではなく、アジア(アフリカ)から見た日本が見えたらいいな、と思います。日本社会で場所を得たら、そんな自由で不安定な立場から日本を見る基礎を作るチャンスは中々ないと思います。若い人の特権。いいなあ、私はできなかったけど。相手に何かしてあげた、と思うのは禁物ですが、私たち自身が彼らから貰うものが思いがけず沢山ありそうです。何も、紛争を大国から持ち込まれて大量虐殺されている人たちの国に、さらに殺しに行くことはない。殺されている人(途上国の庶民)を助ける側に行ったっていいじゃないですか。先進国(と呼ばれる)の我々がちょっとぐらい行ったって、彼らはどんどん殺されていきますから。大それたことが出来るわけでもなんでもない、それでも自分の生きていることを再確認するにはもってこいじゃ、、って考えます。彼らがどんな生活をしているかをしかと見る、見たら、彼らの生き血を吸って成長した我々の姿も見えて、豊かになって虚しいなんてほざく人は変わらざるを得ないのではないか。日本で生きることだって、日本だけで完結するわけではない。
食べかけのリンゴが道端に落ちていて、それが、腐って分解するまで見とどける前にリンゴは不浄な物かのようにどこかへ運び去られます。最後まで目の前で見ることができたら、リンゴの終末がどのようなものか、見届けられたら何となく不安は減るでしょう。あのリンゴと同じく、わたしもいつか老いて死んでいく。同じようなことは、水洗トイレを使っててもあります。でも、流されて、目の前から消えてしまえば、なくなるわけではないことは、想像力を働かせれば、チャンとわかる事です。それは、下水処理上の沈殿槽に溜まるか、川に流され、海にいたるでしょう。ごみだってそうです。近代的生活から抜け落ちた、処理された排泄物は、せめて知識で補っておかねば、我々は必要以上にひ弱に、無責任になります。食卓に並ぶ野菜も、便利なプラスチック製品も、我々の手元に至るまでの経緯に、我々はつねに注意を向けなければならない。それは、我々の義務です。でないと、生活実感ですら希薄になりそうです。死を身近に感じにくい、というのは、近代都市生活のコインの裏のような物として、広くは捉えるべきもの、という気がします。それでも、如何に充実した生活を晩年に至るまでに過ごしたとしても、近代的に整備された都市のシステムで最期を迎えるには、病院というシステムはちょっと陰が無さすぎるかもしれません。ICUには24時間煌煌と蛍光灯が点き、生かそうとして、全システムが24時間フル稼働しているような場所ですから。そこから、脱落していく人だから疎外されているんでしょうか。24時間モニターしなきゃ対応ができないから、あのある種騒々しさは仕方ないと言えば仕方ないと思うんですが、、。ゆっくりした個室、家族との時間が持てる病室、ホスピスのような、が一般病院にもあるといいですが、廉価でそれを提供するのが制度上難しいのがくやしいです。老人病院、と言われるような、家で面倒を見れなくなった(歩けないとか、トイレに行けないとか、意識が無いとか、痴呆があるため)高齢者が沢山入院されている病院は、以前は、訪れるのがしんどい場所でしたが、老人介護施設併設で徐々に医療と介護の役割分担を遂げてきているようだし、いろんな選択肢が出来つつあると思います。まだまだ、良くなる余地は残している、と思います。各人がその時どうしたいか、食事しながら、家族で話せるといいですね。
都市生活と、自然のままに流れてゆく時間と、両方バランスとりながら死ねればいいですね。知らず知らず、いろんな近代化の恩恵を受けながら、口ではそれを無価値かのようにいっても、始まらない。何時までも、健康であり続けられると思うのは、若い人の幻想です。必ず来るんですから、衰えか死にいたる病気は。そのとき、ほったらかしにしないで、生かそうとする技術を進めて来た人間の社会は、とりあえずは評価されるべきです。ほっとけば、集団の辺境に追いやられ、外敵に食われてしまう弱者を、いろんな制度や技術で生かしていこうとするのが、人間と動物の違いなんだから。体力的な弱者が行き続けることが出来て、その維持費を皆が負担することを是とする、優しい社会が人間社会たる所以でもあるんだから。
人間の体だって自然の一部だから、普段からこれの声を聞くだけでも、かっちり織り込まれた布のそこここに、風通しのいい部分ができて、生き易くなっていく(仕事は、私のリハビリでした)、とは感じています。
癌のような病期によって、予後の大体分る疾患にかかって、末期ということであれば、手術も抗癌剤も入院も拒否、という選択もありだな、と思いますが、それを決める時には、「生死観」だけでなく病気をどう捉えるか、が患者さんを悩ますのではないでしょうか。病気を自分の生命を食い破る異物ととらえるか、自分の一部と考えるか。敵ならば、それに向かい合い、挑み闘う態度もまた人間らしい、と感じますし、自分の一部として受け入れることが出来るならば、共に死んでいくのも一興でしょう。自分の壊れていく肉体を如実に感じる(薬や治療の効果に撹乱されないので)のも、それに抗う力が自分にあることを確認するのも、自分を客観的に見れれば面白いかもしれません。でも自分を支えきれない一線が来たら、苦痛を取り除くために医療も利用したほうが、いいと思いますよ!自ら食を断って衰弱を選らぶ、とかも、必要と思います。ただ、体の自由が利かなくなって人の世話にならなければならない時どう感じるか、は別でしょう。また、意識がはっきりしなくなったらどうするか、大体だけでいいから、決めておかねばなりませんよね。お年よりには、意志の力を期待するより、医療で安寧を作り出してあげることが、必要とおもいますが。
余命幾ら、という話になっても、良質な生を長く維持できるように努めたいものです。
生という言葉を無意識に2つの意味で使い分けてますか?一つは“香田さん”で触れられた現実の把握の仕方としての感覚、精神といったものを呼ぶのに。もう一つは、人生、の意味で。普通、死が近づいた高齢者の生、とか死生観とかいえば、それまでに築いてきた人生と不可分のものとして捉えられるはずなのに、ここでは、システムに阻害された人間と言うような意味で使ってないですか?だから、紛らわしいんだ。
繰り返しになっちゃいますが、若年者が精神的に不安定なのは、まだ、自分の中に自分が形成される前だからです。まだ、生を済ませてないから。すべてのものが、可能性でしかない。であれば、必要以上の恐れや、自分が生きていることに対してさえ、観念的にならざるを得ない。だから、時間が解決することは、多いはずです。自分探し、なんて言葉がありますが、ない物探してどうするんだ。自分って、生きて獲得するものでしょう。(自然に身についてくるものもあるでしょう。)それと、高齢者の現代医療における阻害を一緒には論じられない、というか、いっしょの筈はない。精神性も、感受性も、長く生きてきたあとの考え方も。病院に入る前の個人のあり方は、高齢者であれば、近代システムとあんまり関らないところで生活してる人が多いとも、思いますよ。その意味でも、高齢者の「生」が希薄化したから、と言う意見は承服できかねます。意思を貫く濃い人生というのが、歴史的な大事件を舞台に起こってくるなら、そのような、不幸な事態が、この何十年か日本に幸い起こらなかった、ことをまずは、喜びたいと思います。ただし、それでも、チャンと生きた方に「色褪せた」は失礼でしょう。高齢者の闘病生活には生きている実感が伴いにくくなった、と仰りたいんなら、まだわかりますが。そこを広げて、現代生活と現代のシステムは一般に生命の視点からいうと、質が低い、と仰りたいのか。今さわってるコンピュータなんか、その典型ですが。3Dで花を咲かせても、腐らないし、土の匂いもしないし、間違って折っても萎れたり、虫が湧いたりもしないし。それでも、使いようによってはいいところも有るから、使ってるじゃないですか。人間に働きかけているときは、どんなにチューブや器械に囲まれていても、そこに展開されているのは、バーチャルじゃない、生身の反応です。それを感じ取るには、専門教育や、経験学習がいる、という面は否めませんが。
侵襲である手技は、目的のない動作を全くと言っていいほど含まない、合目的的な行為なんですから、その、真っ最中が、患者さんの「人間性」なんて抽象的なものと縁遠いのは、本来当然なことなんです。(外科手術をイメージしてもらえばわかりやすい。)患者さんの話を聞いてあげることが治療に繋がったり、日々の診療行為のなかで、相手が何を考えているか、言わないことまで分ってあげる必要があるし、患者全体、仕事や、理解度、をみることが医療を進める上で不可欠なんですが、患者さんが苦しくないようにした上でのこと、というのは当然として、いざ、注射を打つとき、切開する時、そこには、不必要なことが手順としてあってはならないし(精度が落ちる)、無駄な手の動きがあったら邪魔だし、必要にして十分な動作で目的を達せなければいけません。ICUに入っているような方になされているのは、そのような医療行為の塊みたいなものだから、侵襲にして安全であるために、ミスや見落としを最大限に回避するため、一つの見落としが命取りになる状態では、潤いにかける最期、、、というのが、医療の安全確保の点からは、避けられないところもあると思います。せめて、個室があったらいいのに、ICUのように目が届きやすい個室は作るのが難しいんでしょうか、、。コストを気にせずに、一番いい状態を作り出すことにもっと専念出来たら、もっと素晴らしい、と思うのですが。
それと、一身多助さん、10ヶ月で4箇所の病院って、、、死を前にして状態の悪い患者さんにしては、多すぎ、、、一箇所3か月として、、、という転院は、末期がん患者は対象にならない、、、そんなことは、余り無いはずですが。この病院気にいらん!と転院をくりかえしたのなら、ありえますが、そうではなさそうだし。比較的病状の安定した高齢者なら、一箇所の病院に3ヶ月しか居れない、というのは見聞きしますが。
病気の性質として老人が多い、という病室にいたというのも、なんだか、腑に落ちません。悪性疾患のような消耗する病気であれば、一般病棟で、しかも、高齢者ばかりが一緒、というのはあまり想像できなくて、、、
おかあさまのご病気はなんだったんですか?もし、お話されるのが、辛くなければ、仰っていただけますか?まだ、傷が深く、個人的なことは話すことが出来ないと仰るなら、ムリにお答えいただかなくて結構です。
ただ、貴方の文章を読んでいて、頭にすっと入っていかないんです。
気管の吸飲は、直接感情を交えていないような書き方がされていたし、
終末期といっても、悪性疾患の終末(大年寄りでないことが多いし、進行する)と、老衰といっていいような病状や、脳梗塞のような急性期が過ぎれば比較的安定し、身体の麻痺と意識低下を主体とする病気の後とでは、全く(といっていいほど)答えの内容が変わるでしょう。なんだか、わたしは、一新さんのおかあさまのご病気(一身さんが身に引きうけて感じた体験)は、三番目のものでは無いのかな、、という気が、少ししてるんです。はっきりしておかないと、お互いに考えていることが食い違っていることに気が付かず(一般的にはターミナルケアといえば1を指しますし、「町医者」さん、先生は1だと言う推定で話をされていますが)、話がアバウトになったり、かみ合わなかったりします。
それぞれ、危険の質が異なりますから、裁量の幅の違いが、あると思うのです。それこそ、一瞬の判断ミスや1時間程度の治療開始の遅れが死に直結するようなことや、病状が基本的に悪化の一途を辿るものを、自宅で見ることは、現実には、ムリか、、と。一方、病状の比較的安定した麻痺や痴呆を主体とする方ならば、自宅介護も可能でしょうが、一言に家族による介護といっても、生きていくのに最低必要なことを自立して行なえない方であれば(死が近いといわれるということはかなり重度の障害があるはずですので)、家庭で全面介護するのは、生半可なことでは出来ません。
脳幹に出血を起こしたお姑さんを自宅で20年近く看病された方を知っています。手術をしたあと、2週間に一度ぐらい、往診にいっていました。
息子さんは母親を選んで離婚。(ご主人は浮気をして出て行った。)お嫁さんはこの方のためだけに生き、ご本人は声も出ず、片手の前腕と口元と首が動かせるだけなのに(瞼も目も動かせない)、不思議と意思が通じるらしく、お話されます。私も7,8年して、笑ってもらえるようになった。目も口も動かないのに、どうして笑ってると分るんだ、言われるかもしれませんが、何となく分るんです。今笑われたんだ、とすると、この人の中に、外に現せない豊かさが沢山残ってた!ということが見え出して、嬉しかった。痛みの表現や、恐れ逃げる態度や、怒りのようなものより、微笑みが分った時は、彼女の硬直した外観からは思いがけない豊かさと、私が、繋がっていると感じられ、うれしかったです。手をマッサージしながら、顔をその方の顔にくっつけて、「カーチャーン、愛してるよー。」とよく言ってはりました。これが一番よく聞いた会話だったような気がします。家も、急性期の治療を受けられた病院の真向かいに引っ越して。15年!先日、急変があり、あっという間に肺炎で亡くなった、私に一番に言いたかった(後できいた)、とその日に電話がありました。わたしは、平日遅くまで、診療してるので、遠慮して終末に伺った。遅くても、往ってあげたらよかった。一人で泣いてたのだろうか、そんなに、思ってくれていたのに可愛そうなことをした。
終末期のつもりで自宅療養を開始したのかもしれませんが、献身的な介護のため、比較的安定した状態が長く続いたようです。(それでも、ときどき熱発はあって検査入院したりしていたようですが。)
気道も彼女が吸飲器を使って吸飲し、じょく創を一度も作らなかった。それが彼女の誇りだった。硬直した脚を汗をかきながら一時間も動かし、毎日(!)髪と体をベット上で洗ってあげた。かかとには、いつもクッションが当てられていた。私の持っていく目薬は何時も律儀に入れられていた。夜も、起きて定期的に吸飲した。流動食しか食べれないお姑さんに、普通食とできるだけ変わらない食べる楽しさを味わわせてあげたい、ということでしょう、三度三度作られるお料理は味や風味を壊さないうように、丁寧に細かく包丁を入れられ、時間を掛けて柔らかく煮られています。(私も、何度か、お相伴させて頂きました。美味しかったんで、びっくりしました。)それを、お茶碗の中で、少しずつスプーンで潰して一匙ずつ口に運んでいくのでした。冷蔵庫の中に入ってるのは、みな、カアチャンのためのマンゴーだったり、ブドウだったり、アイスクリームだったり、ジュースだったりしました。今の彼女に対しては、何にもできない私を、「家族みたいなものだから。」と言ってくれました。助けられたのは、私のほう。
こんな、アホみたいに長い投稿を出したかったのは、彼女のような人生を、誰かに言いたくてしかたがないのかもしれない。これが、この人の青春でした!誰か、忘れないで覚えていてあげて!
「カーチャンおれへんかったら、なあんにもしたくない。つまらん。」と言って、顔を見に行くたびに、真新しく、チリも乗せない紫檀の、抱えられるぐらいの可愛い仏壇のま横で、寝たり起きたり(私がジャマをしに行くから)する様子でしたが、体力に合わせて働きにいくことにされたようです。
彼女自身、座るとお腹が膨れています。でも、肝癌の一年目の定期検診で、再発はない、と言われたそうです。
ここまでする気なら、いいんですが、ただし自分でするなら仕事もやめねばなりません。働き手がいなくなると困るから、何人かで協力して介護されますよね。一日一回病院に行く、のと、24時間365日、付きっきりで介抱するのは、全く別のものですが、ショートステイを利用したり、ヘルパーさんに来てもらったりして、家族の負担を軽減できるようになったので、寝たきりの方でも、自宅介護しやすくなりましたよね。
一シンさんは、ご自分でかなりの部分、お世話したかったですか、、、