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(回答先: 真理を追究しても腹は膨れません。 投稿者 考察者K 日時 2005 年 10 月 22 日 18:35:09)
考察者Kさんへ。
>確かにKはBBマークさんの事は何も存じません。まあ、気分を害されたのならお詫びしておきますが、
>今回のやり取りだけで判断しても「物事をその本質まで突き詰めて考えて真理を探ろう」というスタンスの人だろうと思います。
何の気分も害してはおりません。
どうぞ予想してて下さい。
>Kが不当なレッテルを貼っているとするならば「レッテルが不当である事」を論証するべきですが、
>Kの私感では「益々、老子のような考えの人だ」との印象を強くしました。
レッテルを悪いことだとは認識してません。
>Kの意見では「安楽死を認めることが前提になる」との事ですが、まあ、Kは「本人の意思を最も尊重すべきだろう」
>とも考えていますから、ある意味では正解ですが、Kの主張は「真剣に考察する土台が整っていないのだから、
>真剣に考察はできない」というものです。
あなたが勝手に築きあげた土台でしょ?「考察」は、あなたの脳と思考と記憶と暇と興味等々があればできます。
>一口で「安楽死」といっても、状況は様々です。対象者本人が意思表示できるか否かも問題ですが、
>結局は「その案件の関係者の誰の声が一番大きいか?」という「安楽死の是非とは本質的に異なる要素が一番重要視される」というのが現実です。
はあ。そうですか。
>これは「安楽死」のみを単純に考察できないという事です。家族が「経済的事情で安楽死を望む場合」もありますし
>「親族のうちの一人が強引に反対している場合」もあるでしょう。多数決で決められる種類の問題とは限りません。
「安楽死」をやるにはどうしたらいいか?ではなく、「安楽死」は本当にOKなのか?何故OKじゃないのか?です。
「安楽死」の実現に対する考察ではなく、「安楽死」の考察です。
もちろん色々と関連することすべてを考えるのも結構ですが、「安楽死」そのものを考えることができないということはないということ。
>つまり、解などないのだろうと思います。ケースbyケースという事です。
考察する前から、もう解答がでちゃいましたか?達観してますね。
>その上で「安楽死はいかなる場合でも否か?」というだけでしたら考察のしようもありますが、
>今回は「膝枕さんが問いかけているので、阿修羅の参加者としてアリバイを示しただけ」ですから、
>BBマークさんのように「もっと真剣に考察すべき」とKに望む事が間違いでしょう。
もうここまで来るとクセでしょうね〜。俺は「もっと真剣に考察すべき」なんてちっとも思っていないし、書いた憶えも無い。
>Kは「自分で楽しくないと思った考察には興味はないですし、真理を追究しても腹が膨れるわけではありませんので、
>このような結論がでないような問題を『土台も整っていないのに』考えようとは思いません」
確かに考察者Kさんには、「興味」という土台がないみたいですね。
別に考えなくてもとやかくいいませんよ〜。