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(回答先: 俺の今の心境と、自殺や安楽死についての質問です。 投稿者 BBマーク 日時 2005 年 10 月 20 日 16:44:23)
BBマークさん、どうもです。
>>死に際くらいは、国家社会がコストを負担してでも少しでも穏やかで安らかなもの
>>にしてあげるべきと考えるか、
>と書かれておりますが、なぜ「自殺」はダメ(?)なのですか?
「自殺」はダメだとは思っていませんし、そのようにも書いていないはずです。
>だったら、どこまでいっても生が苦痛な者を、医療は助けてあげられないのですか?
>痛まないように自殺させてあげるようにはできないのですか?
他者が「自殺」できる条件を整えてあげることは許容できます。
>>人は生れ落ちたときから休むことなく終末に向かって歩んでいるわけで、その歩み
>>がどこで終わる(どこで終わらせるか)は天のみぞ知る(膨大な医療を施したとし
>>ても)というものです。
>と書かれておりますが、
>「自殺」は、天命とどのように違うのでしょう。
>「安楽死」は天命とどのように違うのでしょう。
>「殺人行為」で死んだ人に、「あなたは天命ではない。だから悔やみなさい。天命に
>なるようにまた生きなさい」というつもりですか?(あっしらさんが霊能者だったら
>の話ですが・・・)。
「自殺」は天命だと思っています。
「安楽死」については、死んだ人にとっては天命ですが、医療従事者の行為という点を重視して除外しています。
「安楽死」を殺人行為とは考えず、保持する価値観に照らして“善行”と考える医療従事者へのアンチだと受け止めてください。
>「死」になぜ、脚色を施すのですか?
>「死」になぜ何かをくっ付けるのですか?
>「生」に何かをくっ付けますか?「あなたは生まれてはいけない人だ」って。または、
>あなたはレイプによって生まれてきたどうでもいい人間だ」とか。
>「生」は「生」で、
>「死」は「死」じゃないですか?
「生」は、「死」と違い、生まれ出る人にとって、事前にその意味や好悪を考えたり受諾・拒絶の選択が許されることなく与えられるものです。
「死」は、身体的ないし外的要因がそれを必然化しなくても、自分の意志で選択し実現することもできるものです。
また、人の生のなかには「死」の観念が付きまとっており、それは決定的とも言える重みを持っています。
その意味で、いろいろなことに意味付けしたり価値判断するのと同じように、「死」は語られるのだと思っています。
>あーーーーー!!!
>・ ・・って。
>なんで死ぬ必要があるのだろう?
>・ ・・・・。
>・ ・・・・。
>・ ・・・・。
>なんで生きる必要があるのだろう?
死ぬ必要があるのかどうかは不明です。
死ぬまでは死を蓋然性だと思い、実際に死ぬときに必然だったと思う(思うことさえできないかもしれませんが..)と思っています。
※ (蓋然性というのは、人は死すべき存在のようだ必ずしもすべての人がそうだとは確定していないという意味で使っています。ほとんどありえないが不死の人が出てくる可能性はゼロではないかも..というたわ言か妄想的願望だと受け止めてください)
生きる必要はないと思っています。
生き続けるかどうかは、それぞれが、諸般の事情を考慮して選択することだと思っています。