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(回答先: 「終末医療」は健康保険制度赤字や財政不如意のなかで突き出された政策ということが問題 投稿者 あっしら 日時 2005 年 10 月 15 日 17:15:01)
久々に阿修羅を観てみました。(暗闇に溺れそうになりながらも、少し書き込み意欲あり)
あっしらさんが、書いた文章(の一部)を今の俺の心境に変えると・・・。
>他者の手による「安楽死」は、善悪は別として殺人行為だと判断しているので受容できません。
>自殺や延命措置をやめて死へ向かう状態を放置することに問題はないと考えています。
>他者が手を施さずとも安楽に死ぬ人もいれば、他者が手を施しても苦しみもがかなけれ
>ばならない期間を経て死ぬ人もいるという現実はそのまま認めるしかないと思っています。
↓【今の俺の心境】
他者の手による「安楽死」には、善悪は別として(善でも悪でもあり、どちらでもないし、わからない)、ただの殺人行為だと判断はしているが、放置する。
自殺は奨励?延命処置はやめておけ?(しかし結局どちらも放置)。死へ向かう状態もやっぱり放置。
「死」に「苦しい」とか、「安楽」とか言うものはくっ付けない。だって死は、死だろうから。(あっしらさんがくっ付けているというわけではありません)
また「苦しい」や「安楽」も人によって基準は変わってくるし、他者が本当に「安楽」でいるのか「苦しい」でいるのか俺にはわからない。ただ現実として「苦しい」もあるし、「安楽」もあるだろう。ただなぜそれが起きる必要があるのかはわからない。だからどうすればいいのかもわからない。わからない。わからない。・・・。・・。
・・・で、あっしらさんに質問です。
>死に際くらいは、国家社会がコストを負担してでも少しでも穏やかで安らかなものにしてあげるべきと考えるか、
と書かれておりますが、なぜ「自殺」はダメ(?)なのですか?
生きることに穏やかでなく安らかでない人が、死ぬことを決断したのに、どうして助けることはしないのですか?
あっしらさんが言われるように、俺も医療は過度の痛み(不安も?)を除去する役割に限定されると思っております。(というか、それしかできないでしょう。)
だったら、どこまでいっても生が苦痛な者を、医療は助けてあげられないのですか?
痛まないように自殺させてあげるようにはできないのですか?
>人は生れ落ちたときから休むことなく終末に向かって歩んでいるわけで、その歩みがどこで終わる(どこで終わらせるか)は天のみぞ知る(膨大な医療を施したとしても)というものです。
と書かれておりますが、
「自殺」は、天命とどのように違うのでしょう。
「安楽死」は天命とどのように違うのでしょう。
「殺人行為」で死んだ人に、「あなたは天命ではない。だから悔やみなさい。天命になるようにまた生きなさい」というつもりですか?(あっしらさんが霊能者だったらの話ですが・・・)。
「死」になぜ、脚色を施すのですか?
「死」になぜ何かをくっ付けるのですか?
「生」に何かをくっ付けますか?「あなたは生まれてはいけない人だ」って。または、あなたはレイプによって生まれてきたどうでもいい人間だ」とか。
「生」は「生」で、
「死」は「死」じゃないですか?
あーーーーー!!!
・ ・・って。
なんで死ぬ必要があるのだろう?
・ ・・・・。
・ ・・・・。
・ ・・・・。
なんで生きる必要があるのだろう?